(アワイチの続き)

 

【行程】

一日目65km; 洲本〜南淡路水仙ライン〜賀集八幡交差点〜洲本インター前〜洲本

 

二日目          ; 雨天中止、島内観光

三日目59km; 松帆の郷〜道の駅 東浦ターミナル〜志筑交差点〜伊弉諾神〜シェフガーデン〜松帆の郷

 

四日目41km; 慶野松原〜賀集八幡交差点〜うずしおライン〜丸山海水浴場(迂回)〜Kariko Resort〜慶野松原

 

 

 二日目、雨天中止

 

 2名は早起きだ。若い時分はこうはいかなかった。アラウンドサーティーの頃にも、後輩10人くらいとここ淡路島へ一泊二日の海水浴に来たことがある。その後輩の内一人と出発の前日深夜2時過ぎまで深酒をして家で寝た。他の後輩が朝、二人をピックアップに来たのだが、電話を鳴らそうが扉を叩こうが返事はなく、仕方なく二人を置いて行った。この二人は昼をとうに過ぎて目を覚まし慌ててフェリーで淡路島へ渡ったのだった。そういえば、明石大橋ができる前は大阪南港−淡路島津名のフェリーが運行していた。自分の睡眠体力とあわせて流れあげる風の音がする。


 荷造りも終わり湾に面したデッキを歩いたり昨日話したパソナ淡路島移転の続きをしたが、6:00にはとうとうすることも話すこともなくなり最上階まで吹き抜けになっているレストランのソファに座って、7:00からの朝食を待っていた。そのうち天窓をたたく雨音が強くなり、それは吹き抜けの壁に反響して大雨であることを最大の臨場感を持って我々に思い知らしめた。ほいじゃあ行くか、あほか、と言って笑って、本日、中止決定である。

 6:30頃、ウエーターがしょんぼり座って7:00を待つ我々を見かねてか、お食事の用意ができましたと声をかけてくれた。おぉ、ありがたい。

 昨夜の肉と酒がまだ腹の中に残っていたことを忘れて明太子としらすと白飯を取りすぎてしまったことを後悔した。思いおこせば、15年ほど前にもアンティークのビーズショップを営なむ友人と、この時は夫婦同士だったが淡路島を旅行した。その時こそが私の朝食爆食記録ナンバーワンである。友人と私は呆れる奥さん方そっちのけで8:30頃からタイムリミットの10:00まで食い続けて、四人前のおひつを2回おかわりし、並べられていた焼き魚や玉子やベーコンをあらかた平らげた。9:00過ぎには朝食客がまばらになって、今日は早く帰れそうだと思っていたらしいアルバイトのおばさん達が時間が経つにつれて顔が曇り気落ちしていくのが手にとるようにわかった。その時はタイムリミットがなければ無限に食えるんじゃないかと思ったが、その日一日は何もたべなくてもお腹がすくことはなかった。。。

 

 島内観光

 

 淡路島の最南端は鳴門ではないのに鳴門岬という地名がついている。鳴門といえば渦潮だ。遊覧船が出ている福良まで車で行ってみたが、渦潮は潮汐で発生するらしく、時間が合わず断念。遊覧船の係の若者が丁寧に教えてくれた。

 その発着場の対面に目を見張る建造物がある。人形座だった。平日の午前、当然、開演しているはずもない。

 

 行くあてもなく鳴門岬へ車を走らせたが工事中で、手前のうずまちテラスで鳴門大橋を眺める。昨日のモンキーセンターでも思ったが、春休みだからか平日にもかかわらず意外に観光客がいた。

 淡路島南端から一気に縦断して北端、岩屋のタコステーションでやや遅めの昼食をとる。道中、広島の実家の鍵を持って出ていないことに思い至り、3日後の土曜に参加予定だった広島での花見を断念した。

 遅めの昼食は、昨夜の肉と酒と朝の明太子としらすの大盛丼で胃痛がして、タコペッタンと明石焼きにとどめる。タコペッタンは通常一尾焼きのところ、今日は若干小ぶりなんでといっておまけで二尾焼いてくれた。

    

 
 14:00過ぎに、今朝方予約したホテルの近くに野島断層保存館があり視察する。阪神・淡路大震災でずれた断層やそのすぐ脇に建っていた家などがそのまま保管されている。ちょうど一年前、デビッドボウイの映画を日本公開封切りで梅田へ見に行き最高の出来栄えと思えるのに観客は4人しかいなかった。周りに誰もいないのをいいことに熱唱したのだが、この保存館には少なくとも20人以上の人が来館していた。断層保存館の集客力にいささか驚く。
 地震の時は大阪におりテレビがコロ付きの台ごと部屋の端から端まで一往復した。遠い親戚が神戸にいて、一週間後くらいに同僚からカブを借りて避難先の体育館に食料を持って訪ねたら、すでに救援物資は行き届いていた。帰り際に来てくれたお礼にとパンや飲物を渡されて、差し出されたものは遠慮なく頂くことを信条とする私もさすがに困惑しながら受け取った。しかし、どのようにして遠い親戚の避難先を見つけたのか、今ではわからない。やはり若いということはバイタリティやガッツみたいなものがあるんだろう。。。そんなことを想った。

 三日目 イワイチ

 翌朝、雨も止み、朝食をすませて本日スタート地点の松帆の郷へ車で移動。ここはアワイチ専用の駐車場がある展望レストランと温泉を兼ね備えた複合施設になっている。展望レストランというだけに急な坂を上った先に位置しており、これから出発というのに帰りの上りが多少心配になる。アワイチのベースに良さそうだが、夜は人目がなく車を泊めるとなると車上荒らしが心配か。。。

 8:30頃、坂を下り、淡路サンセットラインとの交差点を右折し、岩屋〜志筑〜郡家を周るイワイチをスタートする。
 明石大橋の下をくぐり南下。昨日ずっと雨だったが路面は既に乾いている。朝陽も高曇りで柔らかく、雨後のジメジメ感も全くなく爽やかである。

[三日目 4/4 イワイチルート]

  ところが、これを書く段になって海岸線の奇岩がある岩屋港を通らず、バイパスを通って東海岸へ抜けていたことが判明。しかもあろうことか、モニュメントのあるアワイチスタート/ゴール地点を見事かわして通り抜けてしまっている。ここまでくると、天然ボケとかのレベルをはるかに越えて情報無視の達人である。

 

 バイパスをおりて少し行くと、若い人たちがちらほら歩いている。何かのイベントかと思ったら、どうもパソナに通勤する若者だったようだ。友人はパソナの淡路島への移転に感銘を受けたのか、いろいろよく知っていた。友人の話だと従業員の子息のために学校も作るらしい。
 
 淡路夢舞台という看板が見えて、梅沢富美男さんを彷彿とさせるそのネーミングと今回ここを通るのが3回目ともなるとさすがに記憶に残った。そして今ようやくそれが安藤忠雄さんによる建築物だったということがわかり、情報無視の達人級の腕前を持つ私は、見ておけば良かったなと少しだけ思う。
 
 いちご狩りの幟がたくさん立っている商業施設に友人が入って行くので驚いたが、いちご狩りではなく電話と水を買うためだった。しかし、あいつは朝からソフトクリームを食っていた。私は水を買おうとして、いろはすがやけに高かったので、なぜかそれよりも安かったタリーズのボトル缶コーヒーを買った。
 次のルートポイントを友人が説明してくれたが、全く頭に入ってなく、洲本の標識が増えてきたので、通り過ぎたんじゃないかと心配になって電話した。先程の休憩地点から次のルートポイントまでまだ半分にも達していなかったが、今度は頭にちゃんと入れた。県道68号との交差点、焼き鳥の幟のある、を右折して、西海岸の郡家へ向かう。いや、県道88号だったか。。。
  果たして、友人は焼き鳥屋の前で待ってくれていたが、今日は焼き鳥屋が休みで幟は一本も立ってなかった。そして右折郡家の標識を確認すると県道88号と書かれていた。
 
  ウエスト・コーストに向けて緩い上り坂を進む。中腹あたりになると車の往来が減り、田畑が広がる。
 
 神社の前で友人が待っていたので、観光?と聞いたら頷いた。伊弉諾神宮(イザナギノミコトジングウ)という立派な神社をお参りした。

 

 その後、あっという間にウエスト・コーストの郡家に到達、右折してサンセットラインを北上する。
 

  昨日泊まった高台に立つ宿から見た港かと思いきやそれは違っていたが、次の港で上を見上げると船をかたどった建物が見えた。その立地からして昨日の宿に間違いない。建物が船の形をしているとは全く知らなかった。オブジェクトとしてそれは巨大で立派なものである。オープンした当初は、話題になったに違いないと想像する。

 
 ウェスト・コーストは、イースト・コーストと比較して、若者向けの施設が多い気がする。宿もVilaスタイルが多く、原色系で塗られたレストランが随所にある。Hello Kitty Smileの駐車場は、昨日車で通った時、ほぼ満車に近かった。昼食はコンテナが海沿いに並んだシェフガーデンでと思ったが、自転車を停める場所が離れていたので、一気にゴール地点の松帆の郷まで行くことに。。。このシェフガーデン、by パソナと表示されている。パソナの淡路島移転に感銘を受けたらしい友人も知らなかったようだ。類は類を呼ぶ。彼もまた情報無視の達人である。
 
 朝、出る時に心配した松帆の郷への坂も、重心前移動とエレキアシストのコツを体得した今となっては、屁の河童となり、13:00過ぎにイワイチを完走。
 
 スカイレストランで昼食をとって、友人とはここでお別れ。彼は明日用事があるらしくここの温泉に入ってから帰路につく。私はもう一泊して、うずしおラインを周ることにした。
 
(イワイチ終わり、Kariko Resortsにつづく)