昨夜も熱帯夜、今日も真夏日のこちら伊勢湾沿岸でございます。

そろそろ、夏休みのご報告を終わらねばと思いつつ、もう少し引っ張る僕であります。

往生際が悪いですが、何か?(←開き直ってどうするっ!!)



8月11日。


まずホテルを出たら、通りを渡った向かい側のデニーズで朝ごはん。

お腹を満たしたら、浅草の町を歩いきます。

「ここが花やしきなんだぁ」

浅草が初めての家内は、見事におのぼりさん状態。

流星社長は流星社長で「宮田のおじちゃん て、この辺に住んでたんだよねぇ」とこれまた興味津々。


そうしてたどり着いたのは



(金龍山浅草寺)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-



縁起によれば、推古天皇の時代、漁師の兄弟が隅田川で漁をしていると高さ一寸八分(約5.5cm)の金色に輝く観音像が網に掛かり、それを本尊にお祀りしたのが、起源だそうです。

この小さなご本尊様は秘仏され、大切に守られています。


「浅草の観音さん」と慕われ多くの信仰を集めるだけでなく、「ASAKUSA」として日本を訪れる外国人の定番スポットとなったこちらの境内は、この日も様々な国の言葉が飛び交い、大勢の参拝客で賑わっておりました。


本堂に参拝して、土産物屋さんが軒を連ねる参道を人ごみを掻き分けて進みます。


浅草寺と言えば、これを見ないといけません。



(雷門)

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実は、この時点で、ちょっと不機嫌だったのがうちの社長。

境内でおみくじを引いたのですが、なんと「凶」。

気を取り直して再度引いたらまたしても「凶」。

さすがに小学6年生でも立て続けの凶には、ちょっと凹んだようです。

「ちゃんと観音様にお願いしときな」と僕にいわれてしっかり手を合わせていた殊勝な息子でありました。


境内を出て通りをさらに歩きます。

吾妻橋のたもとまでたどり着いた僕たちは、電車に乗り込みました。

乗り込んだのは「東武鉄道伊勢崎線」。

浅草駅から5分足らずで一駅先の「業平橋駅」まで。


この駅の真上にそびえるのが、今回の旅のメイン。




(ついに来ました、真下まで)

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東京スカイツリー


完成すると高さ634mとなり、国内最高の高さを持つ建造物である事はもちろん、自立式鉄塔としても世界第2位の高さとなる国家的な大プロジェクト。

この時点での高さは408m。



この塔には、様々な最先端の技術や最新のテクノロジーが注ぎ込まれています。更にこの塔を建設するためにあらたに開発された装備や機器も数多く導入されています。

まさに日本の建設技術の粋を集めた最先端の現場です。

しかし、ここで忘れてはならないことがあります。

それは、この最先端の建物が、実は、日本に古くから伝わる「大工の知恵」によってその設計が支えられていると言う事であります。


古来より「地震大国」である日本において「地震に耐える建物を造る」ということは、本当に重要な技術でした。

そして、我らが祖先は「匠の知恵」を編み出したのです。
この塔を設計するに当たって、「心柱(しんばしら)」というものが立てられています。構造としては、鉄筋コンクリート造の高さ375m・直径約8mの円筒で内部は階段と鳴っているそうですが、この「心柱」によって地震などによる揺れを抑えることが実現したのです。「心柱制震構造」というそうです。

そして、この「心柱」の参考とされた建物こそ、日本最古の木造建築、奈良県・法隆寺の五重塔なのです。


さらには、タワーの水平方向の断面は地面真上では正三角形をしており、地上から高くなるほど「丸みをおびた三角形」となっています。その概観は「起り」(むくり)や日本刀の緩やかな「反り」(そり)の曲線を生かすという、日本の伝統建築の発想を駆使した「反りの美的要素」を盛り込んでいるのです。



古の知恵が、現代の最先端テクノロジーの中核に息づいている。


見上げていると痛くなる首をさすりつつ、この素晴らしい事実に心から嬉しくなったとともに「誇り」と「自信」を失いつつある今の日本人が、このタワーによって少しでも元気になればと思う僕でありました。



(すげぇ!でっけぇっ!!)

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さて、時計を見ると11時過ぎ。

ちょっと早いですが、お昼ご飯に行きましょう。

今回、「東京ならではの味」を楽しむのをテーマにした僕は、乗り込んだタクシーの運転手さんに「駒形まで」と告げました。


ついたのは


(江戸風情あふれる佇まい)

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のれんに染め抜かれた「どぜう」の文字。


そう、今日のお昼は「どじょう」です。

どじょうは、江戸っ子に愛された「庶民の味」。

その中でもこちら「駒形どぜう」さんは、創業200年を超える「老舗の中の老舗」です。


「今日のお昼は、ついてからのお楽しみね」と味わい母子には告げておりました。

タクシーを降りて、この風情豊かな建物と相手は「どじょう」と聞いて、社長の目が輝きます。

ほんと、毎度のことながら、こやつの食に対する好奇心の強さには、「頼もしさ」すら覚えます。

我が息子ながら、本当に見上げたヤツだと感心する僕であります。



暖簾を潜ってお店の中へ。

まだ早い時間ですのですんなり入ることが出来ました。

江戸情緒を味わうならば、一階の板敷きに座るのがより風情があるのですが、腰を治療中の家内には無理ですので、地下のテーブル席に案内していただきました。


早速、注文です。

「まる」と「さき」を一皿づつ、一皿はご飯とお新香の付いた「定食」にしました。

あとは、喉が渇いたのでビールを頂きます。


程なくして、テーブルに赤々と燃えた炭の入ったこんろが運ばれてました。


そして、見るからに使い込まれた鋳物の鍋が据えられます。

その上には


(まずは「さき」から)

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「さき」とは「割き」つまり骨と頭をとった「開き」にしたもの。

かたや「まる」は「丸」つまり「どじょうの姿煮」なのであります。

「どちらからお持ちしましょうか?」仲居さんがおっしゃたのですが、食の好奇心が旺盛の社長は問題ないものの、味わい母が「どじょうの姿煮」にショックを受けてないとも限りません。

ここは慎重に「さき」からお願いした僕でありました。



(ねぎをたっぷりのせて食べるのが江戸っ子流です)

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ふつふつと煮立ったら食べごろです。

さあ、頂きましょう。


みんなで一斉に箸をつつきます。

うめぇ~っ!!


美味しいっ!!



店中に味わい母子のそろった声が響きます。

周りのお客さんや仲居さんたちがいっせいにこちらに振り返ります。

そして、どの視線からも暖かいまなざしが味わい母子に向けられたのでありました。


よし、大成功!


味わい母子の食べっぷりに心の中でガッツポーズを決めた僕でありました。


すっかり空になった鍋に続けて「丸」が入れられます。

もちろんねぎを山盛りにしてひと煮立ちするのを待ちます。


ここで、ビールから冷酒にチェンジした僕は、お新香の盛り合わせと、そして、こちらに伺うとかならず頂く一品をお願いしました。


いつもお願いする一品とは「冷奴」。

こちらのお豆腐は、本当に美味しい。

大豆の味がしっかりしたこちらの絶品のお豆腐。

かねてより僕は、「隠れた名品」だと思っているのであります。



すっかり「どぜう」に嵌った味わい母子、ご飯のお供に「どぜう汁も飲みたい」との声が。

はい・はい、それもお願いいたしましょう。


(味わい母子、どぜう堪能中)

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すっかり、お腹も満腹。

大満足の僕たち。

お勘定をお願いし、お帳場まで出ると席待ちのお客さんが10名ほどいらっしゃいました。

「凄い人気なんだねぇ」と味わい母。

そう、だからちょっと早めに暖簾をくぐったんですよ。



満腹のお腹を休めるため、お店の脇の緋毛氈に腰を下ろしてちょっと一息。



(ここ、気に入ったぜっ!)

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よほど、気に入ったのでしょう。

その夜そのみお姉さん宮田のおじちゃん に「今日どじょう食べてきたんだ~」と報告して、「えぇ~っ!私だって食べたことないのにぃ~」とお二人を驚かせていた社長でありました。



ぶらぶらと歩きながら浅草寺まで歩きます。

真夏の昼下がり、喉が渇いてきましたので、お茶をすることにいたしました。

せっかく浅草に来たのですから、これも「浅草ならでは」のお店に入りましょう。

向かったのは


(こちらです)

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浅草の名店アンヂェラス。

僕は、敬愛してやまない池波正太郎氏のエッセイによってこちらを知りました。

そして、今では、こちらのお店がネット社会の一期一会に縁が深いお店 となったことは、僕の胸に収めつつ、名物のアイスコーヒー「ダッチコーヒー」を頂きます。


運ばれてきたコーヒーとともに目の前にお皿が一枚。


(味わい母がオーダーしたエクレア)

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本当にあるんですね「別腹」って。




冷房の良く効いたレトロな雰囲気にすっかり寛いで、息を吹き返した僕たちは、商店街で、ちょっとお買い物。そして、いったんホテルに戻り、シャワーを浴びてから着替えをして丸の内に出たのでした。


その夜の嬉しい再会は、特別編 にてご報告の通りです。



こうして、東京を満喫した漫遊記一行でした。