途中、えべっさんよろしく「海老で鯛を釣り上げた」というご報告をはさみ、浪花訪問記の本編の再開であります。



難波駅で「福モフご一行様 」と再会のお約束をしてお別れし、僕は独り地下鉄に乗り込みました。


途中、私鉄(京阪電車)に乗り換えて向かった先は「京橋駅」。


東京にも「京橋」という地名がありますが、あちらは、日本の名だたる名門企業がいくつも本社を構えるビジネスの中心地。

かたや、大阪の「京橋」は、昔から「庶民の町」であります。

1980年代後半になって大阪城を臨む隣接地域が開発され高層ビルが林立して新興ビジネス街として発展もしておりますが、昔からのある街並みはまったくその姿を変えていません。


その庶民の街、大阪・京橋に一軒のおすし屋さんが暖簾を掲げておられます。

屋号を「京すし」さんと申します。


伺うところによれば、創業37年という老舗のおすし屋さんだそうで、当然僕が大阪在住中にも暖簾を構えておられたはずです。

ところが、その当時は京橋エリアにはあまり馴染みのなかった僕ですので、まったくご縁がございませんでした。しかし昨年、大阪を離れて23年も経ったのちに、こちらのお店とのありがたきご縁が繋がったのであります。

そう、このweblogというテクノロジーによって、また新たなご縁に恵まれる事となったのであります。


このお店を僕に繋いでくださったのは「インテリア海峡の1本釣り師」こと「+++ Mother Lake +++ 」のkazz様。


この御仁とは、かれこれ丸4年のお付き合い。

僕がこの田舎駄ブログを立ち上げて早々よりよきご縁に恵まれ、偶然にもお互い「家内が医療関係従事者で一人息子」という家庭環境の共通性があったりもするのですが、それより何より、なんとも不思議と「馬が合う」のであります。

今では、「大津の大将」・「兄さん」と呼び合う、まさにリアル社会においても「親友」の一人なのであります。


このkazz様が、この京すしさんをいたく気に入られ、わざわざ滋賀県大津市から足繁く通っておられるのでります。

そこで、昨年、大阪に出張した折、久々の「再会の地」としてこの京すしさんにお連れ頂いたのであります。




前置きが長くなりますが、もう少しだけ。


創業37年の歴史は伊達ではなく、常連のお客さんも数多くいらっしゃる京すしさんは、親方さんと気鋭のすし職人さん、そして、笑顔の素敵な女将さんによってが店を切り盛りされております。

その気鋭の寿司職人さんを「梅様」と申します。

この梅様、実は、今や「ハイパー・ブログ」として一部で話題沸騰のアメブロガーさんという顔を持っておられます。

この梅様のブログ、いわゆる「関西ノリ」ともひと味違う「パラノイア的記事」が連日上げられ、強烈なインパクトをもったブログであります。

しかし、ブログにおけるこの「やりすぎ感とアクの強さ」をもって「すし職人・梅様」を見てはいけません。

「島根県・○渕」と書かれた名札の付いた割烹着を身にまとったその姿は、「風の谷の住人」とはまったく別人であります。

この気鋭の職人さんの包丁捌きの素晴らしさ、寿司職人としての腕の確かさに僕は心から敬意を表しております。


そして、もうお一人、笑顔の素敵な美人の女将さん、こちらも「sei女将」様として、実に多くのファンがその「更新」を待ちわびるアメブロガーさんなのであります。

「sei女将様がいつ記事を更新するか?」は、一部ファンの間では「ロンブー敦&安室ちゃんの動向」を越える最大の興味の的だという噂も流れてるほどであります。



梅様のブログ「風の谷の梅さん」はこちら から


sei女将様のブログ「寿司屋の女将さんの花より団子」はこちら から



そんなわけで、今やこの「京すし」さんには、お二人を慕って、そしてもちろん、京すしさんの素晴らしい味を求めて続々とブロガーの方々が押し寄せるお店なのであります。



さて、ようやく「前置き」を書き上げました。


では、いよいよ「京すし」さんそして、その後の京橋の夜へと記事を進めます。




後編に続く。(←オイっ!