準備万端整えて、いよいよ迎えたお祭り当日。

ここからは、2日間をダイジェストでお届けしたいと思います。



(始まる前に談笑しながら、お仲間と記念撮影)




「年寄り組」は、地味ですが、今年も若い衆は気合充分です。


(自慢の衣装で勢ぞろい)



足元だって違います



(僕の足元)



これが若い衆となると










このために彼らは、一生懸命「積立て貯金」をして費用を賄います。

それもこれも「すべては、この2日間のため」なのです。

この情熱と心意気を嬉しくて、そして頼もしく思う僕なのです。







いよいよ、神事に入ります。

お祭りは、宮司さんによる、関係者一同と山車の「御祓い」から始まります。


我々の身を清め、穢れを祓い

道中の安全と無事を祈願する祝詞のを捧げ

そして

御霊(みたま)が移られたご神体を山車に鎮座頂きます。





(道中の無事と安全を祈願して)




静寂に包まれ、厳粛な空気のなか粛々とご祈祷が終わりれば、ここからは笛や太鼓が主役です。

祭り囃子が始まり、いよいよ山車を引き出します。



(さあ、出発!!)



若い衆の威勢のよい掛け声と祭囃子を響かせながら、山車は集落のを進んでいきます。

我々に託された使命は、ご神体を神社までお運びし、その道中、霊験あらたかなるご神体によって「集落の皆様の安寧と繁栄を祈願すること」。

つまり、集落の皆様への「奉仕のお勤めを司ること」なのです。


この道中を「道行き巡行」略して「道行き(みちゆき)」といいます。



(「道行き」の行列は、集落の中を進んでいきます)




(軒先スレスレ。梶切りの腕の見せ所です)




(心地よい春の海風をめいっぱい受けながら)



海の向こうには、「中部国際空港」が見えます。

21世紀を迎え、「最先端の技術と莫大な国家予算を結集し完成した」国際空港と、ほぼ時を同じくして、素人集団による「夢と情熱と住民パワーを結集して出来上がった」我らが手作り山車。

この二つが向かう先は、ともに「未来」であると信じる僕なのであります。



この「道行き」の途中、若い衆によって、集落の皆様の慶事を祝い、また、家運隆盛や商売繁盛を祈念する為、それぞれのお宅やお店にお伺いして、「祝い口上」を奉上し、「三本締め」と「伊勢音頭」を奉納させていただきます。

これを「祝い込み」といいます。



(商売繁盛を祈念して「祝い込み」)







第一日目を「宵宮」といいますが、その名の通り、「宵」も道行きが行われます。



(提灯に灯を入れて宵闇を山車は進みます)





こうして、集落の中を進みながら、道行き行列は、ご神体を社殿にお納めする為に神社を目指します。

この神社の境内に入ることを「宮入り(みやいり)」と言います。


僕たちは、第一日目である「宵宮」に入る神社ともうひとつ、二日目の「本宮」に入る神社と二つの神社にお仕えして祭礼を執り行っております。


二日目の「本宮」。

この神社の社殿はは小高い山の上に造営されておりそのため、境内に入るためには、かなり急な坂を一気に引き上げなければなりません。

この時こそ、若い衆達のエネルギーが集結し爆発する時です。



(急な坂を一気に境内まで駆け上がります)



今年も無事宮入りが成功しました。

境内この時、境内から若い衆達に万来の拍手が送られたのです。

鳴り止まない拍手を聞きながら、何ともいえない嬉しい気持ちになった僕でありました。



(宮入りの「無事成功」を祝って祭礼部長さんと山車の前で記念撮影)



宵宮は、「法被に股引きと地下足袋」ですが、本宮においては、祭礼部長は「黒紋付に羽織袴」、副部長は「羽織」が「しきたり」です。

この格好では、何かあっても素早く走る事も出来ず、本当に動き辛いのですが、頭たる者、その威厳を保つ為にも「どっしり身構えて、軽々しく動いてはならない」と言う事なのでしょう。



さて、神事は、粛々と執り行われていきます


(集落の小学生の女の子達による「巫女舞い」です。)



そして、この祭礼の「真の神事」である「神前での太鼓舞いの奉納」を執り行います。



「ばい」と呼ぶ極太のバチを手に、大太鼓の前で力強く舞い、太鼓を打ち、その重厚な音に魂を込めて神への祈りを捧げる



これこそ、我が集落に数百年にわたって伝承されてきた本来のお祭りの「様式」なのです。



(太鼓舞いの奉納)



この神事の様式は、我が集落独特のものであり、この伝統を何としても次世代に伝えていかなければなりません。

しかし、如何せん厳かで厳粛では有りますが「地味」なお祭りです。

華やかさを求める若い人たちには、なかなか魅力的とは映ってくれませんでした。

今から6年前、わかい世代にそっぽを向かれお祭りの存続が危ぶまてしまい、この伝統もあわや「消滅の危機」に瀕したのでした。


「何とかして若い力をお祭りに呼び戻したい」


その願いと夢こそが「手作り山車製作」の唯一のエネルギーだったのです。



(後継者が出来ました。今はもう安心です)



この神事を行っている頃から、ぽつりぽつりと雨が降り始めました。


でも、そんなことはもろともせず


(境内には大勢の人で溢れかえっておりました)



(たくさんの子供たちも参加してくれました)



こうして、全ての神事を滞りなく終え、神社を後にする時を迎えました。

神事の間にかなり雨足も強くなり、また、気温も随分と下がって寒い天候となってしまいました。



(山車を濡らさないように覆いを掛けて)



急な坂道ゆえ、安全の為にまず山車を境内から降ろし、そして、神社を後する神事を行います。

これを「宮下がり」といいます。


宮下がり神事を終えて我々も山を降りて山車の停めてある場所まで行くと、冷たい雨の中、そこには大勢の皆様が僕達を待っていてくださいました。そう、我々と山車を見送る為に。

ざっと100人はいらっしゃったと思います。

山車を下ろしてから神事を終えてそこに戻るまで、ほぼ一時間近く掛かっているはずです。

何時戻ってくるか解らないにもかかわらず、傘を差し、寒さに身を縮めながら、じっと僕達が戻るのを皆様、待っていてくださったのです。

本当に嬉しい事でした。

出発に先立ち、祭礼部長以下、幹部一同にて、皆様の暖かいお心に感謝し、また、長い時間お待たせた事を心からお詫びする挨拶を沿道の皆さまに述べさせていただきました。

沿道の皆様は、その挨拶に対して大きな拍手を送ってくださったのです。



山車を動かす準備が整いいよいよ出発です。

「しきたり」に倣い行列の先頭に祭礼部長さんと僕は付きました。

先頭を歩く僕の背中越しに、山車を動かす掛け声と拍子木の音が聞こえてきました。


そして、その時



「頑張ってくださった祭礼部の皆さんに感謝を込めて参参七拍子っ!!」

の掛け声がかかったのです。

そして、沿道の皆様が全員手拍子を打ってくださったのです。



シャン!シャン!シャン!

シャン!シャン!シャン!

シャン!シャン!シャン!シャン!


よぉ~っ!


シャン!シャン!シャン!

シャン!シャン!シャン!

シャン!シャン!シャン!シャン!


よぉ~っ!


シャン!シャン!シャン!

シャン!シャン!シャン!

シャン!シャン!シャン!シャン!





背中越しにこの手拍子の音が聞こえてきた時、不覚にも目から熱いものが溢れ出ている僕がいました。

「お祭りに涙は禁物だぞ!!」そう心に言い聞かせても溢れ出るものを止める事が出来ませんでした。


平成15年冬。

「何とかしなければ」の一念で、たった6名で始めた山車作り。

その後、様々な困難にぶつかりながら無我夢中でここまで着ました。

議論尽きぬまま夜明けを迎えた日が何日あった事でしょう。

思い悩み眠れぬ夜を幾夜過ごしたか解りません。

時に激しくぶつかり合いながらあわや殴りあい寸前まで行った事だって何度となくありました。

そんな時を重ねる日々の中で、お祭りに情熱を掛ける多くの人々が次々と加わってくれました。

そして、そこには、待ち望んだ「若い力」がありました。

その若い力も、僕達の夢である


赤ちゃんからお年寄りまで集落を上げてのお祭りの実現


という思いをしっかり受け止めて、共にその夢の実現へと情熱を注いでくれます。

気が付けば、「足掛け6年」という時間が過ぎておりました。


今、沿道から送られる「参参七拍子」の手拍子の音を聞いて


「ああ、すべてが報われた」


そう思った瞬間、僕の顔は、くしゃくしゃに歪んでしまったのでした。

「涙を決して下にはこぼすまい」そう思いながら、ただひたすら顔を上に向けて先頭を歩き続けた僕でした。




こうして、神社より山車倉に戻りました。

山車を倉に納め、そして、輪止めが掛けられました。


(倉納め)


熱く燃えた二日間が、いまここに全て終了したのです。

周りを見渡せば、どの顔も疲れ切った表情を見せておりました。でもその目は、「大きな達成感」に満ちあふれておりました。




とある海沿いの田舎集落からお伝えした「春の風景のひとコマ」でした。