1962年、アメリカの南部、ミシシッピが舞台。語り手は三人。裕福な家庭に育った白人女性、スキーター。息子をなくしても明るく暮らし、お世話をする家庭の子供を心から愛する黒人ヘルプ(家政婦)、エイビリーン。口が悪く、そのためにさまざまなトラブルを巻き起こすけど、料理の腕は天下一品、ミニー。彼女もまた、ヘルプ。エイビリーンの友人。

切なくて、楽しい。小説って、こうじゃなきゃ。

アメリカが抱える差別問題は日本人にはなかなか理解しにくいと言われている。日本にだって例えば部落差別、在日に対する差別はあるのだけど、アメリカの差別問題とは決定的に違うところがある。それは、我々は同じ肌の色の人間を差別し、彼らは違う肌の色の人間を差別する、という点だ。というのがその論拠の一つなのだろうけど、僕はそれを阿呆くさいと思う。差別する人間は、根本的に、他者より優越感に浸りたいという欲求があるものだ。その優越感をくすぐらせるため、知性のない人間は、それを何の根拠もないものに頼る。例えば、肌の色。例えば、自分とは違う国の生まれという事実。例えば、誰かが決めてくれた「貶めても良い」という価値基準。ほら、全部、一緒。

もちろん、違う国の差別問題の細かいディテールまでは解らない。だけどその、基本的な心の動き、システムのようなものは解る。この小説に登場する哀れな女、シリーのように「白人と黒人のトイレは別にすべきだ」と主張する人間の醜さ、そしてその醜さがどのように醸成されるのかは、少し想像すれば解る。本来なら差別されるべきはこのシリーのような女だと思う。僕は決して差別撤廃主義者ではないらしい。

実を言うと僕は差別問題に対して深い興味はない。どうにかすべきだという情熱もない。もちろんそれは忌むべきことだ。軽蔑すべきことだ。正直、スキーターがエイビリーンに持ちかけた、「この状況を変えたいと思わない?」という提案は思い上がっていると思った。思ったがしかし、その思い上がりを一体誰が責められるだろう。

この小説を読んで僕は思った。人は、どうしようもなく理不尽な境遇にいても、他者を愛してしまうのだ。そして、語りたいことをいくつもいくつも抱えている。それを誰かと共有出来れば、世界は輝きを放つ。しょうもない差別問題など、くすんでしまうほどに。

忘れられない箇所がある。あるヘルプがスキーターのインタビューにこたえるときの台詞だ。

「あたしはミス・マーガレットのお宅に三十八年勤めた。ミス・マーガレットには腹いたを起こすベビーがいて、痛みを止める方法はただひとつ、抱っこしてやることだった。それで抱っこひもをこしらえた。ベビーを胴にくくりつけて、年がら年中、一日じゅうどこへ行くにもベビーを抱いていた。あの子のおかげで腰が痛んでね。毎晩氷で冷やした。いまもそうしている。それでも、あの子を愛していた。ミス・マーガレットのことも愛していた」

「ミス・マーガレットの言いつけで、いつも結いあげた髪にスカーフを巻かされた。黒人が髪を洗わないのは知ってるのよ、とおっしゃってね。銀器磨きをしたあとは、いちいち数を調べる人だった。三十年後、ミス・マーガレットが婦人病で亡くなったとき、葬式に行った。ご主人はあたしを抱きしめ、肩に寄りかかって泣いた。泣き終わると一通の封筒をくれた。中にミス・マーガレットからの手紙が入っていて、こう書いてあったんだ。『ありがとう。わたしの赤ちゃんの痛みを止めてくれて。決して忘れません』」

「もしも白いレディがこの話を読んでくれるのなら、あたしが言いたいのはこれなんだよ。心からそう思っているとき、誰かにしてもらったことを忘れずにいるとき、ありがとうって伝えるのは」

「とてもいいことだ」
そういやなんか昔、アメブロのアカウント取ったままにしとったから、活用。今まで読んだ本、これから読む本、の感想とか印象に残った文章などをずびっと書いていきます。本の紹介というより、メモ帳というか備忘録代わりなので、ネタバレ必至。もちろん、人様が読むもの、という前提は忘れませんが。

基本的に小説の感想を書いていきます。