短編集。カズオ・イシグロって相当好きな作家なのだけど、この人の作品を知ってる人がまわりに全然いないのが悲しい。『私を離さないで』が映画化されたときに、くるかカズオブーム?と思ったけど、当たり前のようにそんなものこなかったし。何年か前にサガンについても同じこと思ったなあ。
一話目。老歌手。切ないなあ。過ぎ去った昔を思い出すため、というよりもけじめをつけて新しいステージに向かうために、愛する妻に歌を唄う。
「『君の言いたいことはわかるよ、ヤネク。君には厳しく響くかもしれない。それもわかっている。だが、これが現実なんだ。それにな、リンディにも同じことが言える。いま別れるのが、あれにとってもベストだ。まだ老いるという年ではない。君も見ただろう。あれはまだ美しい。まだ時間が残されているうちに出ていくのがいい。再び愛を見つけ、結婚できる間にな。手遅れになる前に出ていく必要がある』
ガードナーの次の言葉に面食らわなかったら、私はこれにどう応じていただろうか。ガードナーは『君の母上は…出ていけなかった人なんだな』と言った。
私はしばらく考え、『はい』と答えた。『はい、母は出ていきませんでした。出ていけませんでした。国の変化を見られませんでしたから』
『残念なことだ。きっと立派な母上だったろうと思う。君の言うとおり、お母上がわしの歌から多少の慰めを得てくれたのなら、わしはとても嬉しい。出ていく機会がなかったのは不幸だ。リンディにはそうなってほしくない。絶対に。わしはリンディに出ていってほしい』」
二話目。降っても晴れても。これが一番好き。主人公の人の良さが最高に面白い。だって、自分の親友に、「結婚生活の危機に面してる、なんとかしなけりゃ、そうだ、お前みたいにどうしようもない奴を妻に見せつけたら、あら、この結婚生活も悪くないわねなんて思うに違いない、頼む、お前、うちに何泊かしてくれないか」、なんて頼まれてほいほいそれを聞いてあげるんすよ。僕もこんな友達が欲しい…、と不遜なことを考えてしまった。
設定としては残酷というか、そりゃないよ!って感じだが、カズオ・イシグロのユーモアを含んだ筆致で、物語は軽快に楽しく進んでいく。うまいなあ…!と思ったが、当たり前だよね、この人、ブッカー賞受賞者なんだから。
三話目。モールバンヒルズ。この話の主人公もなかなか嫌なやつだ。というか、鼻っ柱が強いと言うべきか。若さとはそういったもんだよな、と、読むものは彼を見て、かつての自分の未熟さを思い出すかも知れない。そして、ティーロとゾーニャ夫妻を見て、誰の人生にも起こり得る、すれ違いや我慢の蓄積に思いを馳せ、少しおびえるかも知れない。それでも、彼らは美しい曲を聞き、田園風景の夕べを眺めながら、肩を寄せあって甘いひとときを過ごしたりもする。人生にはそういった一瞬もある。解りあうとか解りあえないとか、そういうものを超越した、奇跡みたいな時間が。
四話目。夜想曲。これも設定がいい。主人公は才能のあるサックス奏者。だけど、なかなか売れない。何故か?不細工だからだ。
といったつかみで読者の心を掴み(こういうのに嫌悪を覚える人もいるでしょうが、そういう人こそ色んな小説読んだほうがいいよね)、主人公は整形手術を受ける。入院中に起こるさまざまな事件、冒険、これも本当、楽しかった。七面鳥からトロフィーを抜き取るくだりでは笑ってしまった。そう、そしてこの小説には『老歌手』で登場したリンディが再登場するのだけど、リンディの告白がしみじみ悲しい。才能というものに振り回され、それに対して愛と憎しみを半々で持っている。持っているのだけど、そこにはある種の論理がもちろんある。清々しい。主人公に盗んだトロフィーを進呈するシーン、感動した。こんなに格好のいいことをしてくれる女性は、なかなかいないだろう。
最終話。チェリスト。この話に出てくる女の言い分が最高だ。私はチェリストとしての特別な才能がある、才能があるからこそ、それを守らなければならない。だから私はチェロを弾かない。才能をあらわにすることよりも、傷つけないことのほうが重要なのだ。
阿呆か!ってなもんですよ。つべこべ言わず、弾かんかい!でもこれって、ある種の人(僕も含めて)の心を、ちょいっとつねるのな。才能とは何なのか。この弾かない女チェリストの生き方が幸せなのかどうかは解らないけれど、それが貫徹されればそれはそれであっぱれだ。この小説は、少し苦い終わり方を迎える。でも、いいじゃないかと思わないでもない。色々な人がいて、色々な生き方がある。他人が口出し出来ない領域がある。それを確認するのはやるせない。だから、この話の終わり方は、苦いのでしょう。
一話目。老歌手。切ないなあ。過ぎ去った昔を思い出すため、というよりもけじめをつけて新しいステージに向かうために、愛する妻に歌を唄う。
「『君の言いたいことはわかるよ、ヤネク。君には厳しく響くかもしれない。それもわかっている。だが、これが現実なんだ。それにな、リンディにも同じことが言える。いま別れるのが、あれにとってもベストだ。まだ老いるという年ではない。君も見ただろう。あれはまだ美しい。まだ時間が残されているうちに出ていくのがいい。再び愛を見つけ、結婚できる間にな。手遅れになる前に出ていく必要がある』
ガードナーの次の言葉に面食らわなかったら、私はこれにどう応じていただろうか。ガードナーは『君の母上は…出ていけなかった人なんだな』と言った。
私はしばらく考え、『はい』と答えた。『はい、母は出ていきませんでした。出ていけませんでした。国の変化を見られませんでしたから』
『残念なことだ。きっと立派な母上だったろうと思う。君の言うとおり、お母上がわしの歌から多少の慰めを得てくれたのなら、わしはとても嬉しい。出ていく機会がなかったのは不幸だ。リンディにはそうなってほしくない。絶対に。わしはリンディに出ていってほしい』」
二話目。降っても晴れても。これが一番好き。主人公の人の良さが最高に面白い。だって、自分の親友に、「結婚生活の危機に面してる、なんとかしなけりゃ、そうだ、お前みたいにどうしようもない奴を妻に見せつけたら、あら、この結婚生活も悪くないわねなんて思うに違いない、頼む、お前、うちに何泊かしてくれないか」、なんて頼まれてほいほいそれを聞いてあげるんすよ。僕もこんな友達が欲しい…、と不遜なことを考えてしまった。
設定としては残酷というか、そりゃないよ!って感じだが、カズオ・イシグロのユーモアを含んだ筆致で、物語は軽快に楽しく進んでいく。うまいなあ…!と思ったが、当たり前だよね、この人、ブッカー賞受賞者なんだから。
三話目。モールバンヒルズ。この話の主人公もなかなか嫌なやつだ。というか、鼻っ柱が強いと言うべきか。若さとはそういったもんだよな、と、読むものは彼を見て、かつての自分の未熟さを思い出すかも知れない。そして、ティーロとゾーニャ夫妻を見て、誰の人生にも起こり得る、すれ違いや我慢の蓄積に思いを馳せ、少しおびえるかも知れない。それでも、彼らは美しい曲を聞き、田園風景の夕べを眺めながら、肩を寄せあって甘いひとときを過ごしたりもする。人生にはそういった一瞬もある。解りあうとか解りあえないとか、そういうものを超越した、奇跡みたいな時間が。
四話目。夜想曲。これも設定がいい。主人公は才能のあるサックス奏者。だけど、なかなか売れない。何故か?不細工だからだ。
といったつかみで読者の心を掴み(こういうのに嫌悪を覚える人もいるでしょうが、そういう人こそ色んな小説読んだほうがいいよね)、主人公は整形手術を受ける。入院中に起こるさまざまな事件、冒険、これも本当、楽しかった。七面鳥からトロフィーを抜き取るくだりでは笑ってしまった。そう、そしてこの小説には『老歌手』で登場したリンディが再登場するのだけど、リンディの告白がしみじみ悲しい。才能というものに振り回され、それに対して愛と憎しみを半々で持っている。持っているのだけど、そこにはある種の論理がもちろんある。清々しい。主人公に盗んだトロフィーを進呈するシーン、感動した。こんなに格好のいいことをしてくれる女性は、なかなかいないだろう。
最終話。チェリスト。この話に出てくる女の言い分が最高だ。私はチェリストとしての特別な才能がある、才能があるからこそ、それを守らなければならない。だから私はチェロを弾かない。才能をあらわにすることよりも、傷つけないことのほうが重要なのだ。
阿呆か!ってなもんですよ。つべこべ言わず、弾かんかい!でもこれって、ある種の人(僕も含めて)の心を、ちょいっとつねるのな。才能とは何なのか。この弾かない女チェリストの生き方が幸せなのかどうかは解らないけれど、それが貫徹されればそれはそれであっぱれだ。この小説は、少し苦い終わり方を迎える。でも、いいじゃないかと思わないでもない。色々な人がいて、色々な生き方がある。他人が口出し出来ない領域がある。それを確認するのはやるせない。だから、この話の終わり方は、苦いのでしょう。