外国人観光客頼みの経済政策をとれば,ある国の文明が没落に向かっている顕れだと『西洋の没落』を書いたドイツの哲学者オスヴァルト・シュペングラーはつとに喝破していた


「・・人口の減少したアテナイは、外人の観光により、また(ユダヤ王ヘロデスのような)富裕な外国人の喜捨によって生きていた。そのアテナイでは、急に成金となったローマの旅行賤民どもが、ちょうど今日のアメリカ人がシスチーナ会堂を訪れて、わけもわからずにミケランジェロの作品を眺めているように、ペリクレス時代の芸術品を何の理解もなくポカンとして眺めた」との一説がある。

 

無思慮な観光立国とは,世界史においてさんざん繰り返されてきた没落の光景だ。

 

「日米合同委員会」によって,憲法以下の法律も自分達の政府も軽々と超越して発せられるアメリカの指示命令に唯々諾々と誇りなく従っているわが国は,

 

すさまじい貧富の差が生じ,人口は減少の一途をたどり,結果として国力がガタ落ちして,国民は年々歳々ひどく自信を失って,体のあちこちに吸い付いた「吸血鬼にして植民地支配の手先であるダニ官僚の群れ」を養わされて息も絶え絶えになっている。

 

「インバウンド!インバウンド!」

 

「おもてなし!おもてなし!」

 

「来日観光客目標達成~」

 

と,ホタえて騒ぎまくった挙句が,いっそうの内需縮小と地獄のデフレ進行だった。

 

令和二年に入って襲来した武漢ウィルスでは,当初,パンデミック発生を「国賓の件もあるし,おおごとにしないでくれ」と申し出てきた中国共産党に対して「へいへい わかっております」と賤しい揉み手をした売国奴共のせいで今日の大損害を招いている。

 

あまつさえ,旗振り役だった観光庁は「高校生の中国への修学旅行を推奨する!」などと直前まで景気よくホザいていた。不幸中の幸いで,引率されたであろう高校生の集団感染には至らなかったとはいえ,能無しの税泥ダニの安保感覚の無さには毎度ながら呆れかえる。

 

これらは,古い言い回しであればまさしく「切腹もの」なのに,例によって例の如く,権力のコバンザメである記者クラブ・マスコミは,日々の喧しい「コロナ報道」での経過説明からはシレッとこの「大災厄の端緒を作った国賊共」には触れずにスルーだ。

 

 

「春節の稼ぎ時」を前にして盛大に算盤を弾いていた関係業界は,これまで支那人シフトを露骨に布いて,古くからの日本人客をないがしろにしたことからの「身から出た錆」でもあろうが,この害は様々な業界に及び,体力のない中小零細からバタバタと倒れていく。

 

「膨大な国の借金があ~」「福祉と医療があ~」「財政規律があ~」はさんざん聞かされても,「膨大な国民の債権があ~」「輸出系大企業への戻し税があ~」「国会議決により可能な政府発行通貨があ~」の声は封印されてのペテン報道がしつこく続く。

 

公共投資を大規模に活発化して緊縮財政を停止し,内需を喚起して経世済民の基本に立ち返りながら国力を回復していかなければ,国民の士気は回復せず,政治への信頼は戻らず,深刻な将来不安からの結婚と子育てへの意欲減退が際限なく津々浦々に広がっていく。

 

安全保障を外国に委ね,「株屋目線」に国の鼻面を引き回され,並み居るスパイ共に国策をいいように操られ,まるでカルビ二ズムのファンダメンタリスト達が仕掛けたような!?ショックドクトリンに何度もかかって右往左往するうちに国民が疲弊するばかりでは,明るい未来を引き寄せようもないと思われる。

 

https://youtu.be/Lm0rvcpTgLM?t=39

(令和元年秋のアメリカ側シミュレート関連動画2本)

https://youtu.be/Lm0rvcpTgLM?t=5

 

武漢ウィルス「作戦」を昨年の秋に詳細にシミュレートしているということは? パンデミックで最も潤う業界は?ワクチン→製薬会社?インサイダー情報を駆使する株主?叩き売られる企業を買収する者? 

 

地球の「適正人口」を目標とする「淘汰作戦」なのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下は,かつて世界的に大ヒットした映画で,チャップリンがそのキャラクターを演じたために,実像が大きく歪められてしまった魅力的な人物の自叙伝からの抜粋である。

 

「~勝利の喜びにも浸った。また,戦後の不安の真っただ中にも生活した。が,喜びにつけ悲しみにつけ常に余の試金石となり,光の家となり,ひとつひとつの忠告と深い知恵の泉となったのは,戦死者の追憶であった。

 

彼らはあらゆる地方から,あらゆる生活の層から集ってきた者であった。

                      (中略)

彼らは勇躍して祖国のために最後の犠牲となり,その尊い血を流したのである。

 

国家が正当な権利を持って昂然と頭を上げ他の国家の間に伍していくことができるようになるまでには,その国家の力の確実な表象,その高貴性の最高の記号,偉大さに到達するに必要な活力を示さなければならないのであるが,

 

そうしたものを国家に与えるものは,常に,その不滅の祖国のために敢然として自分の血と生命を捧げる人々なのだ。

 

こうした想念は,戦争が人々の肉体と心と精神に刻み込んだものである。

 

特に,いまだ若くして,しかも人類の本質を洞察していた人々には,こうした考えは深く刻まれたのである。

                        引用終わり

 

≪マルクス,レーニン,ニーチェまで渉猟した優れた知識人,永遠の恋人クラレッタに出会うまでの多彩な女性遍歴≫ と,この誤解にまみれたままのイタリアファッショ指導者の人生を描いた評伝の著者,ブルピッタ・ロマーノ教授は記す。

 

ムソリーニが残した「不滅の祖国のために敢然として自分の血と生命を捧げる人々」に関する高潔な想念は,日本軍と協力して大英帝国に独立を懸けた戦争を挑み,今もなお世田谷に眠るチャンドラ・ボースが,

 

インド国民軍の若者達に向かって,日本軍が大英帝国を追い払ったシンガポールで語りかけた演説をも思い起こさせる。

 

「われらの願いは唯ひとつ!祖国を生かすために死ぬこと」

 

「兵士諸君,わが友よ!今日ここで私は至高のもの,すなわち諸君の血を求める。血を与えよ。私は,自由を約束しよう。」

 

また,13世紀から14世紀初頭,侵略者イングランドの苛斂誅求に呻吟していたスコットランドで,平民出身の英雄ウィリアム・ウォレスが勝ち目のない抗戦を避けて敵に屈服しようとする同胞に呼びかけたと伝わる言葉,

 

「戦えば死ぬかもしれない。逃げれば生き長らえる。少しの間はな」

 

「でも,これからの諸君の寿命をこの一戦に懸けてみる気はないか?たった一度だ,たった一度のチャンスだ。戦場に戻り,敵にこう言ってやれ!俺達の命は奪えても,奪えないもの 

がある。それは自由だ!スコットランド万歳!」

 

「その不滅の祖国のために敢然として自分の血と生命を捧げる」といった高潔な想念は,何も戦争に限ったことではなく,老若男女,職業を問わず普遍的な価値として備えるべきものだ。

 

これを徹底的に否定し,特に「やむをえずしなければならない戦争」をあくまで忌避するように教育によって仕向けられているのが日本の敗戦後の日々だ。

 

そのくせ,反日奴隷脳はもとより,声高に「保守」を自称する人々ですら,結局はアメリカ兵と自衛隊員に死んでもらおうと思っている光景はひたすら醜悪で,真の独立自尊を是が非でも取り戻そうという気配は露ほどもない。

 

戦死者の追憶を踏みにじり,大東亜戦争に至る「間違った国策」の憐れな犠牲者だったと貶め,日教組に典型的に観られるように,アメリカの手のひらで駄々をこねながら,まんまと占領政策の維持固定に利用されているのが「敗者の戦後」の醜い現実だ。

 

長くイタリアを率いたドゥーチェは,その信念を崩さないまま,永遠の恋人クラレッタ・ぺタッチと共に共産主義者達に撃ち殺され,死体に唾を吐きかけられ,拳銃弾を撃ち込まれ,思いつく限りの侮辱を受けた後でミラノのロレート広場(現在は改称)に吊るされてさらし者にされた。

 

志を立てた者の最後は溝に投げ捨てられた死体であり,歴史はいつも,英雄を葬り去った側から描かれるのが常であるとはいえ,群衆の熱狂に辱められる様子を動画や写真で見るにつけ,自らの命で詩を描き切ったその人生は羨望に堪えない。

 

自らも,ひるむことなく祖国のために武器を取ったドゥーチェがイタリア人を鼓舞するために記した滅びることのない想念は決して息絶えることはない。

 

「底を打ってこそ星まで駆け上がることができるのだ」と喝破したイタリア人の物語は,悲劇の衣をまとった魅惑の旋律を響かせながら,勝者達が強いた沈黙を嘲笑する華麗な舞踏をやめはしないだろう。

 

わが国にもまた,ドゥーチェが残した叙事詩になんら遜色ない力強い民族の歩みと,今はか細くはあっても,征服者に禁じられた楽器で禁じられた調べを奏で続ける営為が確かにある。

 

屍を乗り越え,後続に乗り越えられる屍となり,幾度となく生まれ変わっては執拗に再びの独立を成し遂げる。

 

これを果たしたら,積年の望みであるイタリアの田舎町の教区司祭となって,ドゥーチェが葬られているプレダッピオを訪ねようと思っている。

祖国と,愛した女性達への忘れえぬ愛の形見に。

 

                (会津若松市)

    

     白虎隊の崇高な精神に感銘を受けたムソリーニ

 

 

赤色花崗岩の古代円柱で、その上部には右足に鉞を持った青銅の鷲が羽を広げている。その碑文には『文明の母なるローマは白虎隊士勇士の遺烈に不屈の敬意を捧げんがため、古代ローマの権威を表すファシスタ党章のマサカリを飾り、永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る。』と記され、また裏面には『武士道の精華に捧ぐ。ローマ元老院と市民より』と刻されている。

 

中心の円柱は、79年のヴェスヴィオ火山の爆発で埋没したポンペイから発掘した古代ローマ宮殿の柱だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男の子を三人授かった。

 

今はもう全員が青年で,父親のように留置場に「お泊り」したり,公安に尾行されたり,望遠で写真撮られたり,参考人としてウンザリするほど取調べを受けることもなく,

 

停学や,喧嘩での怪我を「転んだ」と不滅の?言い訳をすることもなく,いじめた相手の親から「治療代よこせ!」とネジこまれることもなく,女子からの不審な!?電話がかかってくることもなく,

 

集団での待ち伏せ報復に備えて,懐にナイフを忍ばせて街へと「出撃」することもなく,まあなんとか全員が社会人になって働いている。

 

名誉の戦死もできず,公僕となっても小役人必須の「三匹の猿道」を全く実行できずに四面楚歌で干されに干され,

 

民間に転じればリーマンショックで爆砕され,一般公募課長で入った自治体では,マスコミ・職員組合・議会・反行政改革勢力の利権タッグに人件費と職員数半減を柱とした改革を汚く潰され,

 

やむにやまれぬ戦いが敗北続きで,妻子に様々な不安を強いてきた不肖の父としては,倅共が堅気で懸命に働いてくれれば望外の喜びだ。

 

倅共がまだチビの頃,癌の闘病の合間に一度だけだが,薩英戦争時に薩摩藩の陸上砲台が置かれた公園で夜桜を家族全員で観たことがある。

 

花冷えが厳しく,指先が冷え切って,子供達の襟元に吹き込む早春の風が気になったが,長男から末っ子までが屈託なくじゃれあう姿には心和んだ。

 

教科書の反日偏向や,公費を使っての南京への公立高校修学旅行引率洗脳,同じく南京百人斬り冤罪への訴訟支援,その実務量に対して不当に優遇される公務員給与の是正等々,

 

公僕としても,一国民としても,こういった不正を黙って見て見ぬふりさえしていれば,まして匿名が嫌だからと実名で告発抗議をしなければ,中小零細企業や個人で細々と暮らしている多くの人々から見れば家族は随分と恵まれた暮らしができたに違いないのにと,

 

何にも親らしいことをしてやれない自分を思って,おまえらは損な父親を持ったなあ・・・と思わず夜桜が滲んだが,わざと不甲斐ない政府を罵るジョークを連発して高笑いしながら涙を見せないようにごまかした。

 

今,またぞろ再発した癌を抱えた晩年に入って,ひとつだけ言えるのは,雲霞の如き敵勢に後ろを見せず,抗議すべき時に保身のために沈黙した多くの卑怯者達の「小利口な世渡り」に決して与しなかったことのみ。

 

日教組にせよ自治労にせよ,一人に対して文句を言う時や圧力をかける時に必ず徒党を組むような,いわゆる「薩摩の流儀に反する醜く臆病で卑怯なふるまい」は唯の一度もしなかったことだけが私が何よりも愛する倅共に残せる轍だ。

 

いずれそれぞれの嫁達も含めて一家団欒しながら,世に棲む日々を終えた私を記念する時に「変わったオヤジだったけど,敗け続けだったのに一度も敵に後ろを見せなかったね」と言ってくれたなら男子の本懐だなあと,

 

花冷えの夜に揺れる匂い立つばかりの夜桜の美しさに心奪われながら,何者よりもいとおしいチビ達の幻を胸に抱いて願うことがある。

 

祖国日本の汚名を雪(そそ)ぎ,税金への寄生虫共に抗って人民の権利を固守すべく挑んだ闘いだった。

 

許せよ。

 

「新政厚徳」の旗は今も,そしてこれからも,誰かの胸に必ずはためく。