かつて,カネボウの男性化粧品「バルカン」のマルチェロ・マストロヤンニ主演のCMシリーズの一本に「半分しかない橋」というのがあった。

 

わが国がまだアメリカに次ぎ世界二位の経済力を誇った上り調子の時代だったと記憶している。

 

パリらしき街並みの光景の中を歩く,小さなブーケを携えたマルチェロ・マストロヤンニが石造りの橋の欄干に歩み寄り,

 

そっとブーケを置くと,火を点けた煙草を添えて「ジェラール」と呼びかける。

 

すると一瞬,ヒトラー時代の軍装をしたドイツ兵士を満載したトラックが橋を通過していく幻が映るのだ。

 

そこへ

 

「いくつもの橋を渡ってきた。いくつもの橋が私を待っている。男には,どうしても渡らねばならない危ない橋がいくつかあって,渡りきるたびに琥珀色の思いが刻まれてゆく」とナレーションが流れる。

 

ドイツ軍によるパリ陥落,親独のヴィシー政権とドゴールの亡命政権の樹立,マキ団に代表される抗独レジスタンスの激しい戦い,

 

錯綜する裏切りと媚態と高潔な犠牲,保身と甘言,陥穽と逃亡,交わされた愛,盗み取られた献身,

 

侵略と征服と抵抗と奪還の狭間で人の持つあらゆる美徳と退廃が軋み,

 

希望と失望と恐怖と不安がないまぜになって,古くはパリシー族が領した都の隅々を駆け巡った動乱の時代。

 

半分しかない橋は,侵略者との高貴な戦争を記念するためにそのまま残してあるという。

 

もちろん,極東の某植民地のように「何をされても戦争だけはゴメン。奴隷になっても命が一番大切。」なんて,

 

諸外国が最も尊重する「人間としての誇り」とは全く無縁の似非平和教育の場として「生かす」ためでは毛頭ないが。

 

ジェラールは,この場でドイツ軍と戦って命を落としたのだろう。マストロヤンニも同志だったが幸いにも生き残り,折にふれて立ち寄っては花を捧げ,友が好きだった銘柄の煙草を供えては,

 

生き延びてしまった自分とは違い,せめてもの特権として永久に年を取らない友の懐かしい微笑を悼み偲ぶのだろう。

 

哀しくも美しく民族の胸に刻まれた輝かしい戦いの時に高鳴った胸の鼓動への誇らしさと,残された者が抱き続けなければならない贖罪の苦悩とを描いた一篇の詩を思わせる影像世界だった。

 

原作者が描きたかったのは「普遍性を持つ,命を超える価値」ではないか?人はどういう哀しみに耐えていかなくてはならないかを静かに訴えたかったのではないか?

 

元来が,大いなるもののために生き死にする伝統が日本にはあった。

 

自らの命を捧げて他者の命を守り抜く高潔なふるまいを讃え,力に満ち溢れた哀しみと共に誇りある歴史を語り継いでいく国民だった。

 

どこの民も「悲しき命」を積み重ねながら愛する祖国を守り抜こうとする。

 

ことさら声高に言いつのらなくとも,国民共通の価値観としてそれはある。

 

戦いは常に悲しい。

 

しかし,美しい歌が残される。

 

「遥か遠く セダンの町にいて」

 

「アルゴンヌの星の下に少年がいた。彼が森の守りに就いていた」

 

海に山に大陸に密林に,日本人の誇りを胸に最後まで戦って倒れた男女が残してくれた遺書にもそれはある。

 

「半分しかない橋」は,それぞれの民族の胸の内にある。

 

要は,その尊い血の記憶を国民一人一人が顕彰し記念し継承の決意を日々新たにしているかだ。

 

屈辱にまみれた植民地暮らしの日々でふと大空を見上げ,美しい歌を命を使い切って書き残してくれた人々の囁きに耳を澄ますことがある。

             パリの橋

パリ解放時に,レジスタンスを命懸けで匿った夫婦が,コラボ(対独協力者)だと勘違いして興奮した群衆に惨殺される悲劇もあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は故 関岡英之氏からアメリカの日本支配構築の仕掛けを主として学びましたが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B2%A1%E8%8B%B1%E4%B9%8B

 

 

 

さくら子氏はアングロサクソンの狡猾さを,スノーデン氏の暴露や財政上の対日支配体制の内容も含め,たいへんよくまとめてくださっていると感じます。

 

ここを突こうとする数少ない政治家がことごとく不審な死を遂げ,または信頼性を失墜させられていることからも,諜報を柱とした支配の方程式は完成されていると見るのが妥当だと思います。

 

恐怖心を抱かせ,諦めさせて末長く搾り取るという植民地支配の構図が,大東亜戦争敗戦後にいち早くアメリカに媚び,特に国防政策に関してはアメリカさえも欺いて「回心しないスクルージ路線」を歩み続けている「敗戦利得者共」の飽くなき裏切りも手伝って残念ながら定着強化されつつあります。

 

今日まで長く政権を「保たせられている」政党の本質は,どう見ても植民地の奴隷頭でしかありません。

 

知ることから始め,近年始まった「マーケットの支配から極力脱して日本を取り戻す尊い営為」に学びつつ

 

https://musubinosato.jp/oyaji/

 
七たび生まれ変わってこの賊を滅ぼして再びの独立をの決意を持ち続けようと思うことです。楠木正成公は現代にも生まれてきているかもしれません。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下は,ある元陸上自衛隊幹部学校教官で退役一等陸佐が公にしているエピソードだ。

 

昭和45年春,東北所在の特科(砲兵)連隊の朝の営庭に整列した隊員達の耳に,中曽根防衛庁(当時)長官殿の声が拡声器から届き始めた。

 

六本木の自室から,防衛マイクロ回線を通じて全国の駐屯地や基地に呼びかける放送を元海軍士官は長官就任後に意気揚々と始めたのだった。

 

記録者の元一佐を始め,当時の中堅幹部の多くは,常日頃から弁舌爽やかでタカ派のイメージを振りまいている長官なればこそ,

 

「奮励努力して政局の障害を克服し,自衛隊を国軍に昇格し,隊員諸君の宿願を適(かな)えたい!」と叫ぶと思っていたらしいが,

 

流れてきた訓示は,この政治屋の見識と国防に寄せる熱意をじゅうぶんに疑わせるものだった。

 

「隊員諸君,おはよう!自分の国は自分で守る。足らないところを米軍に頼む。諸君,自衛隊は合憲だ。そのように最高裁判所に認定してもらうから安心したまえ!?」

 

これは,長官在職中に彼が自衛官の顰蹙を買い,やる気をそいだ幾多のエピソードのひとつにすぎない。

 

今年で50周年を迎える三島事件の際にも,この政治屋は自らの将来のみを顧みて,最高責任者としての責任を卑怯にも回避,市ヶ谷駐屯地の益田東部方面総監に総てを押し付けるという統率上あるまじき行為をしたのだった。

 

もちろん「安心したまえ」と言い放った約束は例によって例の如く反故。

 

足らないところどころか日本が主導権を持って祖国を護る決意もしないままで半世紀が流れ去り,いまや当のアメリカでさえ呆れさせるほど「すべてはパパ頼みヨ♪」の情けない植民地根性が蔓延,自衛隊は古代ローマのアウジリアス(帝国属領の補助部隊)に成り下がってしまった。

 

3自衛隊の創設当初の経緯を振り返れば,わが国は,独立した権威と誇りと決意に裏付けられた国防上の態勢構築を「経済」を理由に自ら頑なに拒み,アメリカに嘘をついてその背中に隠れる道を選択し,独立不羈の気概を恥ずかしげもなく投げ捨てる奴隷の境遇を望んだ。

 

これが,大東亜戦争敗戦から今日に至っている自民党他の政治屋達と国民が歩む屈辱にまみれた敗者の戦後の正体だ。

 

こういった売国奴で国賊のDNAは脈々と今日まで受け継がれ,テキトーに「歴任?」されるボンクラ大臣と副大臣のオンパレードにつながって,遂にはまるで御殿女中のような「ダニ官僚的忖度将官連」の輩出にまで至っている。

 

わが国を今も占領させているアメリカ軍の一部と成り下がり,国権の発動たる戦争も交戦権も否定されている日本国憲法なる「敵に投げ与えられた駄文集」に忠誠を誓っていては,いつまで経っても拉致されたままの同胞を奪還できず,日々奪われゆく領土を守り抜くこともできない。

 

三島氏が文字どおり一命を懸けて自衛隊に呼びかけた「檄」は,奴隷の平和に慣れきって意気地なくグローバリズムへの家畜化を許し続けるこの屈辱の日々に,まるで昨日の出来事のようなリアリティをもって強く響いてくる。

 

尊い死者達への裏切りの系譜への粘り強いレジスタンスは,征服者と,パン助根性の敗戦利得者共からの脅しと懐柔に屈することなく,強固な意思をもって着実にかつ密やかに続けられていく。

 

 

屍を踏み越える後続を絶つことは絶対にできない。