葉隠に 散りとまれる花のみぞ 忍びしひとに逢う心地する」

 

「恋死なむ 後の煙にそれと知れ 遂に漏らさぬ中の想ひは」

 

鍋島論語とも呼ばれた佐賀藩士の書「葉隠」が理想とした恋愛は忍ぶ恋だった。

 

死生観,恋愛観,行動哲学にも及ぶ書。

 

夜半の嵐に,花散らしの雨にと,儚く散りゆく桜花の残影を刻む弥生の霞んだ空を見上げながら,

 

性愛をあまりに安直に手に入れられる時代に生を受けた不幸を痛感した歳月と,

 

それがゆえに時折思い出す,早くに世を去った永遠の面影を軋ませる春の昼下がり。

 

如月は逃げ,弥生は足早に去る。

 

三島由紀夫が喝破した如く,獲得と性急な欲望の充足と情熱の死を繰り返していると,恋は深まりも広がりも失い,陳腐な繰り返しに堕して,その息づきを早くに止めてしまう。

 

成就しなかったがゆえの,胸深くにたたみこんだがゆえの,伝えなかったがゆえの想いの結晶は,

 

神が人に与えた永遠を思う思いを豊かに実らせ,まなかいに幾度もたちもとおる影に,不死のかぐわしい美の幻影をまとわせて尽きない。

 

たとえ,そのいとおしい面影を刹那に重ねながら,底深い寂寥を宥めるためだけの乾いた情熱を,偽りの優しさで包んだ相手に浴びせる不実の時を重ねていくとしても。

 

男とはやはり,悲劇的な生き物なのかもしれない。