俗に「細身の男は侮れない」という説がある。

 

「あいつはひょろりと細いよなあ~」

「吹けば飛ぶようなヤツだよ」

「しかし,ということはおそらく・・・」

「あいつはきっと侮れないぜ」

 

小学校低学年の頃,自宅での宴席などでよく耳にした「男達の会話」だ。

 

会話が途切れると決まって男達は互いに小さく頷きあい,短く溜息をつくのが常だったから,子供心にも不思議な思いがして,

 

彼らが引き上げるとさっそく,後片付けに追われている母へ「ねえ,おじちゃん達が・・・」と会話の中身や様子を説明し「あなどれないってどういうこと?」と聞くのだが,

 

母は怖い顔になって「子供のくせに余計な事を耳に挟まなくてもいいの!」と吐き捨てるのが定番になっていた。

 

長じて高校生になり,直木賞作家で天台宗の大僧正だった今 東光和尚の「極道辻説法」という連載を,皆で回し読みしていた「プレイボーイ」という雑誌で読むようになった。

 

いつの時代も変わらぬ「青春の悩み」が満載されていた人生相談的なその連載中に「女の子は年頃になって肉付きが良くなると,痩せてスラリとした男に抱かれて気持ちがいいものなんだ」といった「指導」があり,

 

ともかくマッチョに憧れて体を鍛え,ムキムキで格闘能力に秀でた男こそが男だと,勉強はそっちのけで日々の鍛練に励んでいた少年は,

 

ガード下とかで,こちらに胸倉を取られてスゴまれるとスグに涙ぐんでしまう弱っちい根性なしや,駅のホームや改札あたりで「おい,貴様ちょっと来い!」と声をかけた刹那に,青ざめて脱兎の如く駆け去ってしまうハシこくて細っこいのとかを思い浮かべては,

 

そいつらが「年頃の女の子」にモテモテになっている光景を思い描いては,「いくら和尚の言葉でも世の中は間違っトル!」なんて非常に複雑な感慨を抱いたものだった。

 

大学に進んで実家を出てからは友人達と入浴する機会も増えたが,キャンパスで見かける超スレンダーな兄ちゃん達に限って,

 

ただ一発の突きや蹴りで沈んでしまいそうなのに,その細い肩を鷲掴みにしたら脱臼しかねないというのに,

 

湯気を立てているその大口径主砲は,思わず「おおっ!」とこちらが声を上げたくなるほどの威容で周囲を圧倒していることが一再ならずあった。

 

これは社会人になって入隊してからも同様で,幹部候補生学校や部隊でさりげなく観察した結果もまた,階級や出身地を問わず(当たり前か!?)その不動の公理を覆すことはなかった。

 

その後,男の事は女に聴こうと,もちろん相手を選び,時と場所も熟考し,また,彼女達の経験則をひそかに推し量った上での実施となったが,この公理についてのインタビューを積み重ねてきた。

 

結果はと言えば,否定した女性は皆無で,彼女たちは皆,いかにも甘美だったひとときを眼前に呼び戻して心地よくたゆたうような表情を浮かべつつ,限りなく優しい声をロールさせながら頷くのだった。

 

しかし,そういうことでは,マッチョであろうとし,中口径主砲しか装備できない男には救いがないではないか!

 

と思った私は遂に,

 

数多くのインタビューの最後を飾った?女性に「じゃあ,情熱の薔薇が咲くまでは中口径でしかない男はどうすりゃいいの?第一印象だけで決められちゃ迷惑だ!心残りだ!という心の叫びを解ってほしい男もいると思うよ」と突っ込んでみた。

 

「いると思うよって,あなたそれ自分のこと言ってるんでしょ?」と,この女狐めは私の小細工を嘲笑(あざわら)いつつも,適切な「指導助言」を与えてくれた。

 

「あのね,今日は君を驚かせてあげるよ。ほら,こんなに可愛い僕のジュニアが君の魅力でいまに大変身をするんだから・・・」というイントロで,

 

「一見して,ちょっぴり油断してる彼女をビックリさせてあげればいいじゃない。その,なんだかよく解らない「口径」っていうのがホントに立派になるんだったらね」と,

 

かつては妖艶だったに違いない含み笑いを見せつつ,彼女は言葉を結んだのだった。

 

以来,細身ではない男から貧相な主武装についての真摯な相談を受けるたびに,私はこの往年の美人の御託宣を伝授することにしている。

 

息弾ませての「作戦成功報告」を受けたことも数多くあるが,そこはその,悲しくも変身の度合いが不足した「突撃不成功」の事例も無いではない。

 

「そうメゲるな。明日という日もあるんだ」と,自分でもよくわからない「明日」を持ち出しては,傷心の青年を慰めることもあるのである。

 

やっぱり,細身の男は侮れない・・・

スレンダーだけど重武装 なのだ(^^)