長崎(広島)は○○回目の「原爆の日」を迎えて早朝から祈りに包まれた・・・と,
両市にどこからともなく集まってくる「ふらちな偽装市民達」が張り上げる,
慰霊とは全く関係のない政治的要求をガナり立てる迷惑な騒音には知らん顔でメディアが性懲りもなく定番報道する。
真実を隠ぺい歪曲する。
つまりは,戦前・戦中・戦後と首尾一貫しているポリシーで,わがメディアには真摯な反省なんてカケラもないのである。
おまけに今年は,7月に国連で採択された核兵器禁止条約の交渉会議に参加しなかった日本政府の姿勢を
「被爆地は到底理解できない」と厳しく非難して,早く条約を批准するように!と平和宣言で市長が迫った んだそうで,
「首相は両市共に当該条約に言及しなかった」と「したり顔」で報じている。
アメリカの強大な核兵器で情けなくも守ってもらいながら,核兵器を禁止しろとは子供の駄々以外の何ものでもない。
原爆や都市無差別爆撃で,戦時国際法違反の無差別大虐殺をした鬼畜のアメリカに,
しかも,原発を日本に広めて売り込んだ極悪国家の後ろに隠れて「パパ,その強い武器を捨ててヨ」か?
いくら大ウソつきの植民地総督殿とはいえ,恥ずかしくて言えなかったのは当然だ。
核兵器をチラつかせて黙らせようとする奴らがビビるだけの「力」を,刺し違える具体的な手段を持つことが「核を二度と使わせない」ことにつながる。
空気の支配でこれを言わせず,被占領脳からの脱却を一日伸ばしにしていては,毎夏の茶番劇はいつまでも終わらない。
平和は,祈り,かつ備えるものだから。
