九州新幹線が全通すると同時に起きた東北大震災の影響で全国的に節電となり、扇風機が脚光を浴びて飛ぶように売れた。

 

もう長くエアコンが当然のような暮らしに慣れてしまい、身の回りで扇風機の影は薄くなる一方だった。

 

少年の頃、夏は暑いものだった。

 

汗がたまる肘や膝の裏側にはスグに汗疹(あせも)ができ、天花粉の白い粉と夏は一対の光景だった。

 

扇風機が掻き回す熱い空気は、ベタつく肌の救いにはあまりならなかった記憶がある。

 

夏休みになると、前夜の残り湯に何度も入っては暑さをしのいだ。

 

生暖かいバスタブに入っている間だけはベタつきから解放されたが、体を拭いて扇風機に当たり始めるとすぐに、夏はその湿った腕を伸ばして私を意地悪く捉えるのだった。

 

クーラーのことは知っていたが、それは、百貨店や駅の構内、喫茶店などの別世界の話で、庶民にはまだまだ手の届かない高値の花だった。

 

蚊帳を吊り、窓を開け放して眠る夜に響いていた扇風機のモーター音は、

 

足元から頭へと移っていく生暖かい風の息苦しさと共に、文字どおりの寝苦しい夜を今も胸に刻みつけている。

 

初めてクーラーが自宅にやってきたのは大学一年の夏だった。

 

上京した年の夏、運転免許を取りに帰省した私は、応接間の壁に取り付けられているブラウンの箱に目を瞠った。

 

なにしろ「涼しいぜ 俺の部屋」などというコピーが、額に汗を浮かべた浴衣美人の写真に添えられたルームエアコンの広告が山手線やメトロに吊り下げられ、かなわぬ夢として貧乏学生達の話題になっていた頃だ。

 

まさか「すごく暑いぜ 俺の部屋」と言ってナンパもできないだろう!?と考えていた私は、故郷の自宅に登場したクーラーの姿に驚いたわけだった。

 

その夏は、初めて味わうパラダイスのような涼しさに身を浸して太宰治とカミュに読み耽った。

 

昼下がりの甘睡に心地よくつかまりながら文字を追うのは至福の時の流れだった。

 

社会に出た頃から、いつのまにか庭や路地に水を打つひとの姿も、商店に立てかけられた竹すだれも見かけなくなった。

 

エアコンにしても、ケータイにしても、高速交通にしても、本当に夢物語だった暮らしを手に入れてから、私たちはいったい何を失ってきたのだろう。

 

ふと気がつくと、生きているうちが花だとばかりに、老いも若きも欲望をひたすら剥き出しにして物と金と色だけを追い求める国に成り下がってしまった。

 

春夏秋冬の恵みを自然に寄り添いながら慈しむように感謝して受け、暑さや寒さを優しく和らげる工夫をし、

 

かつて世にあった祖先達の面影を大切に心に抱いて生きることを忘れてしまった。

 

ゆっくりと移り行く車窓の風景にせつない旅情をそそられ、待ちわびる一通の手紙に期待と不安を明滅させる「深みのある贅沢」を手放してからもう久しい。

 

進化するって本当に素敵なことなのかと、カウンターに目を落としながらグラスの氷を静かに揺らすことがある。

 

「絆抱くペリリュー・日本を愛する島」