田母神事件の余波はとどまるところを知らない。

航空自衛隊の制服組トップである幕僚長が民間の募集論文に応募した内容が、政府が対外的に示してきた歴史認識に違背するから立場上不適切だということで(その意に反して)実質の降格をされたうえで定年扱いとなり、離任の辞も述べられず見送りも受けられない屈辱的な状況で制服を脱がされた。

論文中には全く出てこない「村山談話」を、その論旨からして疑問視し否定していると見た忠義者達が「自らの身だけを顧みつつ」一心不乱に画策し、氏から一切の名誉を剥ぎ取ることに成功した。

なんら違法行為を働きもしない公務員が、所属する省の手前勝手な都合により辞表を出せと迫られ、当然ながら拒絶すると、通常なら定年まで残年数を有するにも関わらず、誰への忠義立てか知らないが考え得る限りの「役所の小智恵」を絞り出し、最大の侮辱を加えられて定年とされた。

これはおよそ民主主義国家では考えられない異常な事態である。

入隊の際、すべての隊員は日本国憲法に忠誠を誓うが、その憲法には思想及び言論の自由が謳ってあるのではなかったか?

田母神氏の講演を聴き、著書を読む限り、任務達成への情熱溢れる優れた最高指揮官であるが、実に温厚誠実な人柄であるように見受けられる。

氏を敵視する一部メディアが広めようとしている「夜郎自大な危険人物」の片鱗はどこにも見当たらない。

タカリの守屋の名がまだ記憶に新しい防衛省内局という御殿女中集団が、軍事への専門知識もないままに予算と人事の「細部」にまで横柄に口を出し、小賢しい役人根性を発揮して制服組を不当に蔑視し君臨する構図に、多くの心ある自衛官達は長い歳月を黙々と耐えてきた。

「われらここに励みて国安らかなり」は、誠実に任務を全うしながら人生を踏み締めてきた大多数の自衛官達の内なる誇りだった。

ところが北京の怒りを怖れてか、政府による自衛隊幹部への「思想統制」が事件を契機に強化されたと聞く。見ざる 言わざる 聞かざる を、日本の武人達に強いるつもりだろうか?

「世界に誇れる」が枕詞であるはずの日本国憲法下で、いったいいつから思想統制と弾圧が正当化されるようになったのか?

そこには重大な自己欺瞞が増殖してはいないか?

いずれにせよ田母神氏は、日本国に存在する言論弾圧と思想統制を期せずして世に示して広大な言論の野に放たれた。

これは、総ての日本人が憲法の保障する自由を享受するようになるための煌めく天啓だと思われる。


*飛虎将軍とは、大東亜戦争中に台湾へ来襲した米軍機を阻止しようとこれに体当たりして散った日本の少年飛行兵を、現地人が今日に至るまで祀っている廟へ掲げられている尊称*


オピニオン誌 「日本主義」収録  時評コラム 「エトスとしての隷従」