平成二十三年春の原発事故で、戦後日本の歪みが一気に噴き出してきたように感じる。

事故当初、アメリカ軍を始めとした諸外国の動きはオーバーにも見えた。国民はまだ、政府の発表を信じていたからだ。少数の者は、なんといっても特に軍隊がこうも素早く退避をするならもしやと一抹の不安を抱いてはいただろう。

つい最近になってから、事故直後にメルトダウンは起きていたことが発表されたが、誰が真実を故意に国民に伏せたのかは今もってわからないことにされている。

実質の報道管制下では、将来にわたって国民に甚大な被害を被らせ、子供たちから健やかな未来を奪い、長期間にわたる不自由な暮らしを多くの人々に強いた者達の責任は問われることはないだろう。

事故現場では、最も危険な作業に最も弱い立場の人々が投入され、せめて政府の責任において、サラトガスーツなどの超一流の防護服が支給されるかといえば今日に至ってもその気配は全くない。監督官庁と電力会社が長年どう癒着しているかをメディアは知らせない。メディア自身が利権を貪る「仲間」だからだ。

第一線で身を挺することが絶対にない者達が、国防を脅かす大規模な自衛隊の投入を無思慮にも決め、逆らわないチープレイバーとして重宝がる。

国民には解りにくい数値が「基準」として乱発され、不安におののく被災者と、未来を蝕まれる子供たちを尻目に、責任を果たさない要路の者達は相変わらず金と女にうつつを抜かす。

一刻一秒を争う非常事態には「現行法」などを論じている暇はなく、何よりも大切な命を救うべくあらゆる手段を超法規で講じるべきだ。それを咎めるのなら咎める方が間違っている。

国民は憲法以下の法律のために生きているのではなく、国民の命と暮らしをよりよくするための道具にしか法律はすぎないのだから。

無能な売国奴である総理は政権にしがみつき、日を追って拡大する被害には目もくれない。死屍累々と化した国土で、絶望のあまり自ら命を絶っていく無辜の人々を目の当たりにしてなお、不正を働き邪淫にふけり、欲望の奴隷を続ける者達には死が与えられるべきだ。

日本中から寄せられた多くの善意の配分は遅々として進まず、復興支援にかこつけて儲けようという外国の思惑をはねつけもせず、あくまで従来の利権を確保温存しようとなりふりかまわず狂奔する卑しくあさましい人間たちを、苦しい暮らしに耐え忍んでいる多くの国民はいつまで許しているのだろうか?

日本にもし、国体(国柄)を護るための軍隊があるならば、官、民、メディアの利権スクラムによって多くの人々が殺され、未来を託す子供達が侵されていく現状を止めるためにクーデターを起こすだろう。

現行体制が機能せず、まやかしの民主主義によって温存される特権階級と、これを利によって手なずけて狡猾に利用する外国勢力によって多くの国民が人生を奪われているのだから。

嘘ばかりが明るく輝き、誰も責任を取ろうとしない属領をこれ以上好きにさせて延命させてはならない。日本人が失ってしまったかに見える誠の一文字を、あらゆる階層で声を上げて取り戻す時である。

我が国は今、ワイマール体制を葬ったナチ並の情報統制化にある。メディアによって流されることの背後にある狙いを、こういった情報が社会に満ちることで利を得るのは誰か?どの国々か?責任を免れるのはどの業界か?何を追及させまいとしているのか?何から目を逸らさせようとしているのか?そういった観点で総てを疑い、例え匿名でもかまわないから批判を続けるべきだと思う。

金のために平気で国を売り、人を殺すことを恥と思わない人々が育ってしまったのが今日の日本なのだということを、私たちは急いで肝に銘じなければならない。