鹿児島県内随一の公立の進学校を鶴丸高校という。
教職員にとっては,ここへの勤務はひとつの「ステイタス」になっていて
県教委との人事交流も当然ながら多い。
いかにも卑屈な言葉だが,県教委の目に留まりやすい「おひざ元」という
わけで,教育行政の場へ学校現場から行くことを(県教委事務局へ推薦され,
たとえば係長や課長補佐,課長などになること)「現場から引き上げる」という
言葉で表現する。
逆に,県教委から学校現場へ戻ることを「現場へ降りる」という。
これは,事務職も教育職も同じで,その中でも配置される部署により,A,B,
Cグループに分かれ,例によって身内がいるかだの,盆暮れの付け届けを
欠かさないかだの,不祥事をうまく見て見ぬふりをして上司の保身に忠節を
尽くしているかだのという,下劣な観点とあさましい思惑によってその後の
「人生すごろく」の上りが決まっていく。
良心との葛藤に悩み(まじめな教職員ほど悩むだろう・いないわけではない
ので)体調を本当に崩した者を「潰れた」と表現する。
さて,鶴丸高校近くに歩道橋がある。
これは,信じがたいが本当にあった話で,公教育の世界を牛耳る者達の
精神がいかに病んでいるか,どれだけ不祥事を続発させようが「元を絶たねば
変わらないか」のか,そもそも教職員を「管理・指導」する立場の教職員の
頭が何によって占められているかを
知るためのひとつの材料になるだろう。