休暇を利用して与論へ行った。



徳之島から飛行機でさほど時間はかからないが、行きは船を利用することにし


た。



よく晴れた南西諸島を浮かべる聖なる海は、沖縄まで点々と島を浮かべて


続いている。



私は、妻子を船室に残したままで、怒涛のように押し寄せるアメリカ軍を


日本の若者達がわが身を爆弾として必死にくい止めようと砕け散って


いった、大東亜戦争(太平洋戦争)末期に思いを馳せていた。



修羅の時が荒れ狂った黒潮の海は、中国共産党が虎視眈々と狙い、


宗主国アメリカの後ろに隠れるしか能が無い誇りなき植民地政府は、


愛する故郷と人々を護ろうと必死になって命を散らせていった若者達


や男達を「哀れな犠牲者」として政治利用することしかしない。



奴隷の平和を願って死んでいったわけではないのは、虚心坦懐に彼ら


の御遺書を読めば誰にでも解るはずだ。



パラオ沖に発する黒潮の流れは大洋を群青色に染め上げて、与論の


港が近づいてきた。