後年 阿久根市でも経験することになるのだが、平成の初期の徳之島伊仙町は


保徳戦争という、徳田とらお氏と保岡おきはる氏の両派による町長選が火花を


散らしていた。



エネルギッシュな!?選挙だったため、本土から機動隊が派遣されて話題となって


いた。



なにしろ、不正選挙の疑いに役場へ押しかけた民衆が、手に手にハンマーを


持っているので「おお これはすごい!しかし、どたまでもかち割るつもりか?」と


思っていると



いきなり側溝の縁石を叩き割り始めて投石に使うので、三里塚で軽トラに積んで


きた石を投げるのを覚えていた私には新鮮に見えたりした。



地元の商店は、マスゴミや機動隊が宿泊したり食べ物を買ってくれるので


「特需」を喜んでいる様子もあり、パトロール中の若くて大柄な機動隊員が


アンパンをほおばりながら歩いているのを見かけたりもした。



私は「若いし腹も減るだろう。しかし、軍隊でいえば歩哨中に煙草を吸う


ようなもので、機動隊の規律も緩んでるんだな」と思ったりした。



休みの日に、投げ釣りに行くという同僚に誘われて海岸に出て、自分は


しないから見物していると



紺の戦闘服姿で機動隊員が二人やってきた。



二人共に竿を手にしているので訝しそうな視線を私が投げたのに気付いた


らしく、上司らしい方が「お疲れさまです。ここで投げてみてもいいですか?」と


声をかけてきた。



私が微笑んでうなずくと、若い方が威厳を取り繕ったような声で「いや 警戒


がてら回ってるんですがね」と急いで付け加えたのは笑止だったが。



着替えが無かったのかもしれないが、釣竿持って「警戒」もないだろう。まあ


「警察力の存在」を「離島の暴徒達」に感じさせるというなら苦しい中にも意味は


若干あるのだろうが。



機動隊員二人と、一人の教師が投げるルアーには、なかなか南の魚は


食いついてこなかった。