体育大会がやってきた。


 

タンプリングや行進の練習。応援合戦に準備運動と整理運動。


 懐かしの練習風景が毎日繰り返されはしていたが、はあ~話には


聞いていたがの実に不愉快な決定的光景があった。



 例によって例の如くの国旗と国歌である。



 日教組の教員達は、歌わないの立たないの伴奏しないのと愚かな


邪魔立てと国際常識に反する行為を衆を頼んではひけらかしていたけれど



 憲法の保障する内心の自由だとか、日の丸の赤は血の色、白は


日本人に殺された人々の骨の色などと、歪んだ想像力を発揮して


はムキになっておかしなことを主張しながら見苦しく口を尖らせるのには


閉口した。



 予行での国歌斉唱の際も、脱帽はしないしブラブラするし、はなはだしい


のは日頃はしないグランドの掃除を竹箒で始めるのもいた。



 金科玉条とする憲法に一応は宣誓してなった「公務員」だろうに


国旗国歌に敬意を払う大多数の国民の心情もバランスよく酌む


不偏不党の姿勢も身分上は求められているはずが、都合良く無視している


様子は愚かを通り越して哀れだった。



 これで二言目には「国際人」を強調するのだから恐れ入る。


 生徒に示しがつかないだろうに。



 どこの世界に自らの国旗国歌を尊重しない国民がいるのだろう。



 それほど嫌なら税金へのタカリをすぐにやめて、自分達で出資して


日教組立の学校を作ればいいことである。つまりは迷惑だから公務員を


辞めるべきなのだ。



 税金を好き放題に食い散らすくせに自分達と反対の意見の国民は体よく


無視して愚劣な奴隷根性を大切な子供達にあつかましくも植え付ける。



 畑の肥やしにでも向いているような連中がいい気になって繰り返す


傲慢な愚行が、法源である慣習に屋上屋を架すような法制化という


本来は無駄なことを招き寄せていったのだった。



 全国津々浦々の公立学校で行われている「日本国への侮辱」に


昔も今も国民は営々と血税を吸い取られ続けているのである。