夏休み中、宿題を持参させた部員達と個別に話をしていくと


成績不振の子はやはりかなり多かった。


 「それで、担任でも他の先生でも、何かおまえに渡して『これをやっとけ』とか


言わないのか?せめて休み明けに見てやるからって言うとか」


 そう聞くと、みんな一様に首を横に振るのだった。


 学期中に、目前の生徒達に対して教育効果が上がらなかったのなら


何とかして「休業中」の時間を生かしてレベルを引き上げようとするのが


務めではないだろうか?


 法律で決められた「研修権」とやらを行使する前に、自らが保護者から


子供を預かり、大枚の血税を受け取りながら暮らしつつ、成果を期待されている


ことへの責任をこそ自覚すべきではないのか?


 目前の義務を履行しなくて何の「研修」なのだろう?しかも実態は、マージャン


だのパチンコだの釣りだの旅行だのという、いったい何の研修かわからない


享楽がほとんどじゃないか。


 県教育委員会は、この実態を知りつつ見てみぬふりをしながら日教組と妥協を


繰り返してきた。


 実はそれは、自由民主党の実態でもあったのだった。


 経済力があり、気の利いた親はとうに公立学校を見限り、定評のある塾に


通わせて著名な私立へ子供を入れてきた。


 経済力も無く、欠損家庭でゆとりもまるでない環境の子供達は、体よく


屑教員達に見捨てられているわけだった。


 自らの安楽だけを図る根性を際限なく甘やかし、たまにまともな上司から


厳しく指導を受けると逆ギレする「自称教育者達」


 愚者の楽園である公立学校に注ぎ込まれる血税は膨大な金額に上るが


「合法的」にその成果を検証し信賞必罰を与える術は事実上無いのである。