たどり着いたのは薩摩半島南端の小さな漁村だった。
年齢が25歳以上ということで、一般行政事務ではなく学校関係の事務職での
採用だったから、私は僻村の中学校の事務を執ることになったのだった。
数年越しに代々、学校関係の職員が借りてきたという大きな古い借家を
割り当てられ、大勢の加勢をもらって引っ越しの荷物をほどいた。
表札横に「帝国海軍協会会員の章」が潮風に錆びたまま打ち付けられ
五右衛門風呂に汲み取り便所という実に時代がかったその家は
縁側の先は日本庭園風にしつらえられ、各部屋を取り巻くように廊下が
付き、座敷の裏に回ると「竈(かまど)」が埃をかぶって座り込んでいて
盛んだった頃の人々のざわめきが、どこからか微かに響いてくるような
佇まいだった。