『オレンジビーチ-スリーデイズメイビー』


              エピローグ


作戦終了を確認した米軍は、ブルドーザーで洞窟陣地入口を埋めながら、全島域で米軍兵士の遺体のみを回収していった。


置き捨てられたままの日本軍兵士達の遺体は、やがて戻ってきた島民達の手で涙ながらに埋葬された。


こうしてペリリューは、島全体が墓地となった。


日本軍兵士達はこの島に多くの尊い血を流し、文字どおりパラオの古諺に言う「家族」となったのだった。


それは、世界中が一家となって共に栄えようという、建国以来の日本が掲げた理想に連なる二十世紀の神話であり、物語だったのかもしれない。


島民は激戦から護られ、ア バイは燃え尽きた。


アメリカは奪い取ったパラオで、南洋統治時代に日本が築いた総てを徹底的に破壊したが、


多くの日本軍兵士達がかけがえのない命で綴った「伝説」を、ついに抹殺することはできなかった。


オレンジビーチに寄せては返す波は、今日もまた南の潮騒を奏でている。


誰にも、どんな力を使っても消し去ることのできない、日本軍兵士達が大義のために一身を放擲して懸命に示した気高さで歌い上げた物語は、


美しく輝く南の海深くに、輝くような白い貝の首飾りになって今も漂っているのかもしれない。


哀しくも美しい伝説の余韻は、強くて優しかった日本軍の神話と共に今もなお島民の心に息づき、


豊かな黒潮の流れは、遙か彼方の祖国の山河へと、今は逝ってしまった歴史の微かな呼び声を届けている。


二十世紀末に独立したパラオは、国旗に日の丸とよく似たデザインを国民が選んだ。


美しい南の海に鮮やかな月が浮かぶその旗には、かつての日本人が示した忠誠と武勇、高貴な献身と荒削りで自然な島民への素朴な愛情が偲ばれるようである。


ペリリュー戦での島民の協力者に「靖国神社で会いましょう」と、声をかけて散っていった日本人兵士達がいた。


声をかけられた島民は、戦いが過ぎ去った後も兵士の言葉をいつまでも胸に抱いて生き、


約束の聖なる場所、靖国神社への参拝をためらい姑息にごまかす戦後日本の首相達を嘆いた。


今はダイビングのメッカとして賑わうパラオに、互いにその祖国のために命を捧げた日米の若者達が残した物語があった。


ひたむきに掲げた理想に日本人が決然と挑み、幾多の未練を断ち切って殉じていった時代に、南十字星の下で演じられた高貴な献身に鎮魂の思いを致すことは、


永劫への憧れに満ちた最後の波の音を胸に抱きながら永久に瞳を閉じていった多くの人々へ、後世を生きる我らが捧げるべき真心からの祈りであると思われる。