隼人の風163
お定まりの腹部膨満(ぼうまん)感と、冷や汗が滲(にじ)むような緊張の時が過ぎ、私は膀胱鏡(内視鏡)検査後の着衣を済ませると泌尿器科外来の待合室に座っていた。
二百十日も過ぎた秋の日、発病後ほぼ一年を経過しての検査に私はやってきていた。
あの、驚愕(きょうがく)の癌宣告から季節はめぐり、そびえ立つような大学病院の建物は、ふたたび秋の陽射しに照らされながら私を傲然(ごうぜん)と見下ろしていた。
去年の患者とスタッフのクリスマスパーティに、サンタクロースの一人を演じ、日頃から小さな女の子の患者にも慕われていたルーキーの医師『牧童君』が、今日の検査は担当してくれた。
彼はどういった検査でも、できるだけ患者に苦痛を与えまいとしてくれる医師で、天才漫才師「やっさん」似の残酷で横柄な助教授が、
回診中に私の性器にいきなりアルコールを塗りつけて七転八倒させた際も、後で気の毒そうに慰めてくれたものだった。
ただ、今日は横に退院時の主治医『陣内君』が付いていたのが不愉快だったが、検査そのものは非常に楽に進み、
括約筋を膀胱鏡(内視鏡)が通過する時も、嘘のように微(かす)かな痛みを覚えただけで済んだ。
ブースに呼ばれ椅子にかけると、事前に撮影したCTの写真に『陣内君』が見入っていた。
ポケットハンドをして、もう一方の手を顎(あご)に軽く当てた彼は、「う~ん 変だなあ・・・」と苦笑いしていた。
私は「変だなあ」という『陣内君』の呟(つぶや)きが耳に入った時、これまでとは違い不思議と心が乱れなかった。
理由はわからないが、『牧童君』の優しい思いやり溢(あふ)れる検査を受けながら感じていた安堵感(あんどかん)に心が芯からほぐされ、悪い結果を連想する状態ではなかったのかもしれない。
「こんなはずでは・・」と『陣内君』は小さく言いかけて少し口ごもると、ややあって『牧童君』の方を見やると軽く頷(うなず)いた。
「尿も、CTも、内視鏡でも、なんら異常な所見はありませんでした。これで、退院なさって半年以上が経過したわけで、予想以上の回復ぶりだと思います」と、『牧童君』が、慈(いつく)しみを滲(にじ)ませた静かな口調でゆっくりと言った。
ていねいに礼を述べて、型どおりに生活上の注意事項を聞いた私に、これで危険が去ったわけでは全くないので、今後も厳重な監視が必要だと
『陣内君』は威厳(いげん)を取り繕(つくろ)うように重々しく言い渡すと、やや小首を傾(かし)げながら白衣を翻(ひるがえ)して大股(おおまた)に立ち去っていった。