隼人の風140
退院後初めての検査を明日に控えた夕暮れ、私は家を出て、眼前に浮かぶ桜島の噴煙を見上げていた。
この1ヶ月は、本当に駆け足で過ぎ去った気がした。
夜毎に「死」が忍び足でベッド脇にやってきては、明け方まで陰気に足元にうずくまるような不快な時間が流れ、眠りは常に浅く、もう無くなった「朝の検温」の気配でハッと目覚めては、自分の部屋にいることに気づくといった具合だった。
桜島は、太古(たいこ)以来こうやって、眼前の人々の喜怒哀楽を泰然(たいぜん)と見下ろしてきたのだろう。
行動が敏捷(びんしょう)であることから「ハヤヒト」と呼ばれたという、私の血の源である隼人族が、大和朝廷への数度の叛乱(はんらん)を企てた頃もまた、この活火山は海にどっしりと腰を据えていた。
「あの山から見れば、明日の検査に不安を抱く一人の男なんてチッポケなものかなあ・・」と、私はなんだか少し可笑(おか)しくなってきた。
目を海に転ずると、ジンベイザメも回遊するほど深い水深を持つ錦江湾(きんこうわん)の水面(みなも)は、残光(ざんこう)に照り映えながら美しい碧(あお)の色彩を奏でていた。
「抜いたら走れ!か」と思わず呟(つぶや)いて、私は、室町以来の薩摩剣法である自顕流(じげんりゅう)の師範達が口癖のように言う、命を賭けた思い切りの美学を思い起こしてみた。
自分が末期癌になったのは、自らの意思ではないにせよ、結果として鞘から白刃を抜き放ってしまったことになるのだから、あとはもう、ひたすら走り抜くしかないのだろうかと、吹き寄せてくる冷たい早春の潮風に頬をなぶられながら思った。
雑念を捨てて、踏み込んで踏み込んでいきながら、息が続く限りは白刃を振り下ろし続けるしかないのか。
それはきっと、ダンサーがダンサーであるためには、たとえ足が絡まっても踊り続けるしかないのと同じなのだろう。