天保年間の水道管(鹿児島市山下町)



財団法人鹿児島県林業会館の敷地は、小松帯刀(1835-1870)の下屋敷にあたり、会

館改築の際に出土した水道石管が玄関横に置かれている。天保年間に、10代藩主・

斉興によって城山・冷水の水源地から敷かれた水道施設の名残といわれている


重浪 明 (しきなみ あきら)とソウルメイト

重浪 明 (しきなみ あきら)とソウルメイト


                              隼人の風130


まだ無罪放免といったわけでもないのに、思いがけず退院となれば、まず浮かぶのは医療スタッフへの「御礼」のことだった。


もちろん、スタッフの中には職責以上にあたたかい人間性を発揮して患者の心を和ませ勇気づけてくれた人々もいないわけではない。



しかし、『仮釈放』される患者の身としてやはり大きかったのは、何ひとつ(スタッフへ)贈らないことへの不安だった。


有名な徳洲会のことが頭をよぎらなかったわけではない。今や、立志伝中の人物となった徳田虎男氏が巻き起こしたあの一大社会運動がなければ、腐敗しきった医療現場の実態は何ひとつ変わってはいなかったろうからだ。



現に、スタッフへの贈り物を固辞するといった内容の掲示は、大学病院内にも貼り出してはあった。


私の中には(またなんだって、これだけ侮辱されながら「御礼」をやらないといけないんだ!)という気持ちと、(


でも、こちらが手を合わせたくなるほどの人間味あふれる接し方をしてくれた人達もいるしなあ・・気持ちの問題もあるし)といった思いが、互いにせめぎあって激しく軋んでいた。



私は結局、贈る人と贈らない人を分けるというのも、いい大人が小僧らしいことだとも考え、


何も贈らないことで生じるかもしれない「今後の不利益な取り扱い」への不安もあって、割り切れない思いを残しながらも関係した全員に御礼の品を贈ることにした。



ナースセンターには「菓子折」とし、医師達には「商品券」にした。私が、家人が準備してくれた品をベッドの上に並べながら、


「本当はこれ、逆に贈りたい気持ちなんだけどなあ」とつぶやいていると、家人が「ともかく、本当に一生懸命によくしてくれた人達もいるんだから」と、


まるで前線から撤収しての陣地防御が辛くも決まった兵士を勇気づけるような調子で言った。



ナースセンターへは家人が行き、私は『ドンキー』をまず探した。廊下で見つけた『ドンキー』に商品券を入れた封筒を「どうも」と言いながら手渡そうとすると、彼は一応型どおりに「なんですかこれ?いけませんよ」と受け取らなかった。


(チェッ!こっちもやりたくて渡してるわけじゃないのに)と思った私は、その場は引き下がって後ほど、ナースセンターに人がいなくなるのを見計らって、そこに設けてある医師毎の小さなポストに封筒を入れてきた。



それきりになったから、商品券はめでたく『ドンキー達』の手元に届いたのだろうが、屈辱的なヒドイ目にあわされた上に、高額な治療費以外にも出費を強いられるとはと、後味の悪い苦々しい思いが長く残った。