水前寺公園(水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)は細川御歴代を祀る出水神


社の敷地内に、おおよそ360年前に造られた庭園)の新旧の建物を入れた写真。(熊本県熊本市)」



ビル群の中に自然豊かな日本庭園がある光景。

景観を壊さないように、高いビル・マンションは建てないはずの景観条例を

県庁自ら破って、高い県庁舎を建てて景観を壊してしまった。

日本版セントラルパークかもしれない
(フォトブレーン提供)


重浪 明 (しきなみ あきら)とソウルメイト

重浪 明 (しきなみ あきら)とソウルメイト
                              隼人の風125

腎臓癌で片方を摘出した患者仲間の男性や、以前、私に自分の人工膀胱をわざわざ見せつけて、わざと不安を煽るような真似をした同室患者が、2月の訪れを前にして次々と退院していった。



しかし、最も疑わしい部位から採取した膀胱細胞の検査結果を待ちながら、ふたたびの抗癌剤動脈注入療法を待つ覚悟が不思議と座った私にとっては、それはたいした気持ちの負担にはならなかった。


今はただ、心静かに去りゆく人々の快復と平安を祈るだけで、羨望も煩悶も焦慮も、もう私の心を乱すことはなかった。



自分の体内戦線の当事者はあくまで私であって、これまでずいぶん人間として屈辱的な扱いも受け、言いようのない肉体的苦痛にもさらされてきたけれど、


今度でともかく『結果』を手にすることができるといった一種の妙な落ち着きと安堵感が訪れていた。



それは、諦めでは決してなく、家人と子ども達のためになるなら、たとえ臓器を全部取られることになっても最後まで士気を維持して戦おうという決心ができたからだった。


いわば、自動小銃に実包(実弾)を装填(そうてん)し終えて、安全装置をはずした直後の心の落ち着きのような、束の間の静謐(せいひつ)が私の胸を満たし始めていた。



今の自分に残されたのは、自分だけの身勝手な理屈を振り回して、せっかくここまで持ちこたえた体内戦線を離脱して早い死を求めたりしないことと、どういう体になっても士気を維持して家族のために生き延びる努力を懸命に続けること、このふたつの道しかなかった。


そのためには、毎度の拷問のように思える手術にも挫けるわけにはいかないし、技量未熟な医者が持つ危険性にも耐え抜かねばならないのだ。



間近に迫った抗癌剤動脈注入療法を前にして、私は久しぶりに浴室へと向かった。


脱衣カゴへスポーツウェアを脱ぎ捨て、鏡へ自分を映してみた。ずいぶんと筋肉が落ちたのがわかる・・こういうのを何ダイエットというのだろう?


私は思わず「癌であなたもダイエット!」なんてポスターを薬局へ貼っても人気は出ないだろうなあ・・などと、一人なのをいいことに実にくだらないジョークをつぶやいたりした。



鏡の中の腹部にふと目を留めると、そこへ排出口を設けられてパイプ付の人工膀胱を取り付けられた自分の姿が浮かんでくるような気がした。


「神様 いったいどのような私の姿を2月のシナリオにはお書きになるのですか?」と、薄暗い浴室の天井を見上げながら私は小さくひとりごちた