主治医団から治療計画を聞いた翌日から、さっそく手術のためのレントゲン撮影や肺機能検査に入った。
病棟でナースに指示されたとおりに迷路のような病院内の通路をさまよい、いくつもの扉を開けてはソファに腰をおろして待ち、
検査技師や医師らが忙しく立ち働く様子を、まるで残刑がまだ長い囚人のように陰鬱な気持ちで私は眺めた。
手術では、また下半身を裸にされて仰向けで屈辱的な姿勢を取らされ、情けない思いをさせられながら万に一つの僥倖を願って耐えなければならない。
屈するわけにはいかないが、手術のたびに味わわされるあの悔しさを思えば正直なところ気が滅入ってしようがなかった。
しかし、いまさらどこへ脱出できるわけでもない。
私は、レントゲン写真を始めいくつかの検査結果を受け取ると病棟へと戻り、ナースセンターへ届けるとベッドへ戻って仰向けになった。
手術の朝に、慌ただしく処置されるバルーンカテーテルの激痛がよみがえってきた。
あれは医師にとってはあくまで手術前に施しておくべき単なる必要な「処置」にすぎない。しかし受け身の患者にとっては・・・。
尿道へゼリー状の麻酔を入れた後、ほんの数分でいいから待ってくれれば、カテーテルを入れていく時の痛みはかなりやわらぐのだけれど、
ほとんどの場合『あんたは病気なんだから苦痛に耐えるのはあたりまえだ』とでも言いたげな態度が横行し、
時には医師の尻馬に乗った古株のナースなどが「先生も何かと忙しいんだから早くしないと!」などと横から実に不愉快な暴言を吐いたりもする。
いずれも、死への不安に駆られている患者へ対して取るべき態度ではないだろうに、弱い立場に平気でつけ込んだり、単に自分達の処置を手早く済ませたいがために露骨な苛立ちを見せたりと、
人間性のかけらも感じられないほど思いやりに欠けた人々が、苦しむ患者をまるでベルトコンベアに乗せられて流れる『マニュアルに則ってただ処理されるモノ』のように邪険に冷たく扱うことも実際に多々あったのだ。
彼ら彼女らが望むようにテキパキと体が動かせるくらいなら何も病院になどいやしない。
思うように動けないからこそ治療に来ているのに、いったいこの連中はどういった教育を受けて実務に配置されているのだろう?と怪訝に思うことも多かった。
私は、処置の苦痛に思わず身をよじってしまうであろう自分を想像して、ここでの緒戦はなかなか厳しい立ち上がりかもしれないと考えて思わず歯を食いしばった。

