西郷南洲顕彰館の西郷像
隼人の風48
それは、廊下から洩れる常夜灯と、窓から入ってくる月明かりに僅かに照らし出される病室の空気を引き裂くような嗚咽から始まった。
吊りカーテンで周囲をぐるりと囲まれた向かいのベッドから、すすり上げるような鳴き声とハッキリとは聞き取れないかすれた呪詛のような声が交互に響き始めて、眠りに引きこまれようとする私の疲れ切った神経を掻き乱し始めた。
上半身を起こしたままで仰向けになれない姿勢で瞳を閉じ、なんとか手術のことを少しでも忘れて眠ろうと試みるのだが、ウトウトするたびにタイミングをまるで測ったかのように老婆の嗚咽や呟きが邪魔をして、
両足をベッドに縛り付けられたまま上体を起こしている、わが身の不自然さに否応なく引き戻されるのだった。
『とんでもないことになった・・せっかく抗癌剤と配下部隊が戦っている間に少し眠ろうとしているのになんてことだ!』
そんな私の内心を知る由もない不機嫌な老婆は、ひっきりなしに真夜中の騒音を立て続けた。
ふと時計を見ると日付はもう変わっている。おそらくは昼間にめいっぱい眠っていたらしい、仲の良さそうな患者同士の何やら楽しげな?会話が隣からは響いてくるし、
嗚咽や独り言が激しくなると数人のクスクス笑いが起きるし、状況は悪化する一方だった。
やがて二時が回る頃になると、さすがに周囲の患者は眠りに落ちたようで静かにはなったのだが、
老婆は丑三つ時になるのをまるで待っていたかのようにいっそう大きな声で「痛いよ~ 痛いよ~」と叫び始めて次第に手がつけられない様子になってきた。
はては「助けて~」と大声で喚きカーテンも引っ張り始めた。
私は『冗談じゃない。あんたから助け出してほしいのはこっちだよ』と心底思いながら、これではまるでビルジリオに地獄見学に導かれたダンテもいいところで、
生きながらにして亡者の群れに迷い込んだのも同然だと思い、情けないやら物悲しいやらで昂ぶってくる感情を抑えるのにかなり苦労した。
小一時間も経った頃だったろうか、こんな真夜中に悪いなと思いながらも、眠れずに困り果てた私はナースコールを半ば諦め気分で押してみた。
すると予想に反して「どうしました?」と意外に明るい声がクイックレスでスピーカーから返ってきて「あの~実は・・」と少し口ごもった私に「あ!眠れないんでしょう?すぐ行きますね」と拍子抜けするほどの快活な声が響いた。
