「侏儒どん橋」(鹿児島県霧島市日当山(ひなたやま))
隼人の風33
少しの着替えと洗面具に文庫本数冊、まるで船乗りが休暇を終えて乗船地へ向かう直前のような出立の準備が、家人の手によって子供達の目につかないようにさりげなく無言で進められていった。
食卓では、特に二、三男同士の幼くて他愛ない話題が屈託のない表情で飛び交っている。私は時折手を伸ばしては子供達の髪や頬にふれてみて、滑らかなその肌や柔らかい髪のいとおしい感触を自らの手に刻みつけておこうとした。
そうすることで、またしてもストレッチャーに乗せられて、あの憂鬱で陰気なライトが煌々と地獄の迎え火のように輝いている手術室へと運ばれていく際に、
この手が記憶した子供達の手触りが透き通った美しい鎧となって私を護ってくれるような気がしたのだ。
できるならば出かけたくはない。しかし、行かなければ敵に勝つことは確実にできない。
決して後ろを見せることなく雄々しさを胸に抱いて一人行かなければならない。
かつて父祖達が関ヶ原で決然とそうしたように、前へ前へと突破口を見いだすためにひたすら進まなければならない。
バラエティ番組を観ていた子供達が一斉に楽しそうな笑い声を上げた時、ふと目を上げた私と家人の目が合った。
「カツラって高そうだねえ・・」私はそう言って少し笑うと、自分がこれまでコロッケとあだ名されることが多かったことをふいに思い出して「パツキンにでもしようかな?」と言い重ねた。
家人は少し困ったように小さく微笑んだ。これまで読んだアガリクス投与者の体験談によれば、抗癌剤注入による脱毛や嘔吐などの副作用は全く出ないか極度に軽減されるはずだったが、なんといっても初めての経験だったし一抹の不安は拭い切れなかった。
私は、動脈注入手術後に万が一ボロリと抜け落ちた髪を見つめた時に一気に戦意を挫かれることがないように、たとえ副作用が出ても気合いを入れ直して踏みとどまるイメージトレーニングを続けていた。
それは気持ちのいい想像ではなかったが、いずれにせよ『造る』細胞を総て無差別に殺戮していく抗癌剤と、これまで繰り返してきた1ヶ月余りの食事養生とアガリクスを柱とした東洋療法によって、私の中で培われ強化されているはずの自己免疫力との仮借のない熾烈な戦いとなるはずだった。
不可視の戦場から届いた召集令状は、否応なく私を新たな戦場へと駆り立てていった。

