今日も朝一番でリムを磨いて居た時は無風でしたが、家に入った途端から強風が吹き荒れています(-_-;)。

 

もう今日は外遊びは辞めなさいと言う事でしょう(;^ω^)。

という事で暇つぶしの『古いアルバムからシリーズ』です。

 

今日の写真は1973年5月19、20日です。

オーダーしたペガサス1号機はまだ完成して来て居ず、待ち切れずに未塗装で乗り始めたのはこの年の10月でした。

 

今回は上諏訪から走り始めて和田峠を越えて扉峠から松本へ行き、其処で松本の先輩の家に泊めて頂くことになっていたのに先輩が何時になっても帰って来ず(;^ω^)、仕方が無いので松本から長野行の列車で稲荷山まで輪行して叔母の家へ行き泊めて貰いました。

 

翌日は猿ケ番場峠を越えて修那羅峠そして冠着山の麓の四十八曲がり峠越えて屋代へ下り輪行で戻って来ました。

 

この時のフィルムカメラはなんとあのでかくて重いブロニカを持って行ったのに、カラー写真の発色が全てダメで、修那羅神社で土砂降りに遭い、雨宿りして戻って来たのですが、其処から突然お天気が晴れ渡って・・・。

 

後で分かった事でしたが、その時は大陸から猛烈な『黄砂』が襲来して居て空気が真っ黄色状態だったんです(-_-;)。

 

マァ、それ以外に残っている写真の色も退職して居て酷い写真ばかりです。

 

 

和田峠への登り。

 

 

凄い登り坂。

 

和田峠の頂上。

峠自体は既に出来ていたトンネルで越えます。

 

和田峠の下りは舗装路でしたからガンガン飛ばして下った・・・らしい(^^ゞ。

 

 

和田峠を下り、今度は扉峠へ登り始める処で立ち寄った和田宿に1件しか無い商店で、お年寄りのご夫婦から

『悪い事は言わねぇ、あんな酷い扉峠へ道を自転車でなんて登れる訳がねぇから辞めなさい。止めなさい。』

と執拗に止められたことを覚えています(;^ω^)。

 

確かに酷い道でしたが私にはいつもの慣れた道でした(^^)/

 

しかし、ここら辺のスケール感は凄いですし、車も全く走って居ませんでした。

 

 

 

 

 

和田峠頂上です。

左手に小さな山小屋風のボロいお店?が有った様な記憶が。

 

本当に山岳道路そのものでした。

 

この頃諏訪から上がって来て此処で合流するビーナスラインは未だ未だ工事の真っ最中でした。

 

今度は扉鉱泉への下りです。


 

ダム付近が扉鉱泉です。

 

そして二日目。
 

翌日の修那羅峠に有る安宮神社。

此処は神社の裏山に有る沢山の石仏で有名な処です。

尤も此処って『安産の神様』なんですけどネ(;^ω^)。

 

 

 

帰りに再度叔母の家に寄った時に『安産の神様へなんて行ってどうする気だ?』と散々からかわれました(;^ω^)。

 

安宮神社で土砂降りに遭い、雨上がりを今度は四十八曲がり峠へ。

 

お天気は快晴に・・・遅いよ(;^ω^)。

 

峠から稲荷山町方面。