今年は渋谷に行く度にメジャーシーンで活躍するアーティストと対バンさせてもらいましたが、普通なら田舎の結成間もないバンドがいきなり 渋谷Takeoff7 のような老舗ライブハウスでメジャーアーティストと対バンできるはずなどなく、僕には長い下積みから第一線にまで進んだ実績があったから。
僕が下積みに入る前、高校3年の頃にバンドブームが起こり、それまで関東ローカルだった 「イカすバンド天国」、通称 イカ天 が全国ネットになりました。
そこに出てくるバンドの2割はゴミみたいなバンド、6割は平均的なバンド、しかし残り2割はアマチュアバンドといえども、凄いバンドが出ていたものです。
それを見ていて、そのバンド達と同じフィールドで活動していく事を決め、翌年 大学進学という形で上京しました。
まず、19歳で始めた下積みの第一歩は「原宿ホコ天」からでした。
東京で一番最初に組んだバンド。
このバンドは活動期間は一年もありませんでしたが、僕もジュンスカと同じ ホコ天 バンド出身というわけで。
ホコ天というのは、日曜午後1時から始まるので、その直前に機材を持って来るバンドの機材車が演奏場所に入ってきて、そこに陣取り3〜4バンドでストリートライブをするのですが、一番最初の下積みは その「場所取り」からでした。
そして徐々にライブハウスに進出していくのですが、その次に受けた洗練は「オールナイトイベントのトリ」でした。
オールナイトイベント というくせに、トリの出演時間は午前3時。
トリの時にお客さんなど残っているわけありません。
市川CLUB GIO という500人キャパのライブハウスでお客さんが5人 という、一生忘れられない経験をしました。
そこから今度は「ローディー」というバンドマンにとって、誰もが通る下積みの道に入りました。
最初にローディーをやったのは、現在グランロデオのドラマーをしている 長井 Val 一郎さん。
その後、元ANTHEMの森川さんがPOWERNUDEを結成した一発目のライブの打ち上げで、同じく元ANTHEMの坂本英三さんと意気投合し、英三さんのローディーに。
それから、BLINDMAN〜Concerto Moon のローディーとなり、その間にローディーさせてもらった師匠達に助けられたりしながら、少しずつ第一線へと進んで行ったのです。
下積み時代に、第一線の現場で教わった事、覚えた事、学んだ事は 今の自分や今の活動に大きく役立っています。
そして、あの頃学んだ事を20年経った今また渋谷で生かせている事、下積みを経験できた僕は幸せだったと思います。