I Love 葛飾柴又 | Georgeの目指せ還暦ロッカー

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岡山発ゆるふわハードポップユニット、「EastBell」のギタリスト Georgeの音楽ブログです。
「Hiroshiの目指せ還暦ロッカー」の続編です。

今年3回目の東京ツアーでやっと行けた場所。
「男はつらいよ」で有名な町、葛飾区の柴又。
ここ柴又は、僕が人生の中で一番大切な時間を生きた町。



柴又に住んでいた頃 (1998.7.21市川)

当時は事務所は目黒、活動拠点は市川CLUB GIOや目黒LiveStation、新宿LOFTなどでしたが、一番出演頻度が高かった市川CLUB GIOは車で20分くらい。
リハーサルが終わって一旦帰れる距離でした。

事務所にお世話になるまでは、隣町の金町でバイトしたりもしていました。
僕は6丁目に住んでましたが、当時のメンバーはドラムが4丁目、ボーカルが葛飾区白鳥、ベースが足立の竹の塚に住んでいて、皆 比較的近所に住んでました。

新宿のホテルを出て、当時事務所に通っていた道を、あの頃家路についていたように、柴又へ向けて走りました。
変わった場所、変わらぬ場所に心の中で一喜一憂しながら走り辿る思い出。

柴又新道に入ると、ほとんど変わっていない風景。
柴又といえば帝釈天。
当時は帝釈天の横にゴルフ練習場があり、そこの契約駐車場に機材車を置いていました。

その前に住んでいた、文京区の根津は再開発が進み、随分変わってしまいましたが、さすが柴又は15年ぶりなのに変わってない!
なんだか心が熱くなりましたよ。


東京でも穏やかな時間が流れる街 柴又。
駅から続く商店街には温かな人がいっぱいいた。
バイトしてた金町の病院にも温かな人がいっぱいいた。
東京を去る3日前、当時の彼女と手を振って「二度と会うこともないだろう」と別れた柴又駅の改札。
様々な思い出が柴又には散らばっています。


なんなら、住んでたアパートもちゃんと変わらずありましたよ。

好きだなぁ、柴又。
柴又で必死に音楽に向き合った僕がいたから、今の僕がいるのです。

18年前に東京を去る日、前日夜からメンバーと数人のファンとで、金町の白木屋で朝5時まで飲んで、そのまま岡山に旅立ったのは、忘れられない思い出です。