思い起こせば私の人生

ネガティブとの戦いでした。

 

3人姉妹の末っ子として生まれた私は

極度にぼーっとした子どもでした。

 

依存心が強く、成長が遅かったせいか

 

小学校1年生の最初の通知表で

あまり成績が振るわず

 

母をがっかりさせたことを

今でもはっきりと覚えています。

 

誤解のないように言うと

母はいつもポジティブな言葉かけをして

私の良いところを

たくさん教えてくれました。

 

けれど、たった1回の

その反応の方が

強烈にインプットされてしまっているのです。

 

更に、低学年で受けた

知能テストの成績も振るわず

 

担任の先生から

「知能が低いけれど頑張っている子」

としてみんなの前で紹介されたことも

強く印象に残っています。

 

今ならば大問題の発言ですが

当時の田舎の先生は

思ったことを自由に発言する

風潮があったのです。

 

もちろん先生としては

「頑張っている」の方を

伝えたかったのでしょう。

でも私はネガティブなワードの方

をキャッチしてしまいました。

 

その知能テストの問題の一つに

 

「朝起きてから学校に行くまでの

1日の流れを正しい順番に並べる」

という問題があったのを記憶しています。

 

実はそのとき私は、

学校で正解とされる理想的な順番と

我が家での習慣との違いに戸惑って

その問題をずーっと考えていました。

 

すると、そのほかの問題も

いったい何が本当なのか、

考えすぎて

分からなくなってしまったんですね。

 

ですが、そもそもそんなことで悩む時点で

とても要領が悪く、頭の回転が遅い

ということになるのかもしれません

 

 

この知能テスト賛否については置いておいて

 

 

とにかくそのようにして

私の中にネガティブの種が

植えられました。

 

 

さて

そんなぱっとしない幼少期を過ごした私にも、

普通の人より上手に出来ることがありました。

 

それは朗読でした。

 

私は3番目の子なので

文字を読むのも

手厚く教えてもらったわけでは

ありませんでした。

 

ですが、母は基本的にポジティブなので

 

「あなたは教えてもいないのに

自分で文字が読めるようになった」

 

と繰り返し話してくれました。

 

何も際だったところのない私でしたから

それを聞いて褒められたような気持ちになり

絵本を読むのが楽しくなりました。

 

ですが田舎で、図書館も近くになく

読めるものがあまりありません。

 

仕方なく国語の教科書を

繰り返し音読しました。

 

その結果

「朗読がうまい」と褒められるようになり

それが私の唯一の誇りになりました。

 

中学生になると

音読好きが英語にも生かされました。

 

先生の発音をまねて上手に言えるように

練習して英語が得意になりました。

 

成績が低迷することは度々ありましたが

その都度、英語の成績に助けられて

なんとか高校、大学と進学し

 

ついに自分の好きなことを仕事にして

楽しめるまでになりました。

 

 

私は今でも要領が悪く

難しい話も苦手だし

失敗ばかりしています。

出来ることより出来ないことの方が多いです。

 

 

ですが今なら

こんなデコボコの自分だからこそ

自分の進む道を見つけることが

できたのだと思えます。

 

 

音読しかなかったから

それだけを一生懸命頑張った

 

難しい話が苦手だから

文法からでなく音読からでも

英語力を伸ばせることが分かった

 

自分ができなかったから

できない子の気持ちが分かる

 

そして誰にでも何かしら

自分にしかできないことがあると

信じることができる

 

 

    

ネガティブな感情は

自分の進むべき場所への

近道を教えてくれる

道しるべのようなもの

 

 

大人も子ども、ネガティブを味方に付けて

自分の進むべき道をみつけられるといいな

と願っています。