いつも拙いブログを読んでくださり

ありがとうございます



今は胆管がんで亡くなったパパの

闘病生活を振り返りながら

その時々にふと思い出した事
残された家族の日常などを綴っています。
以前書いた内容と被る事もあるかと

思いますがお許しください



胆管がんのパパ

最後の入院は「胸膜癒着術」をする為で

一週間ほどの入院予定でした



コロナ禍で面会禁止でした

入院手続きの書類に

病棟ではご家族から患者さんの状態の

問合せがあっても答えられない

そんな事が書いてありました



でも携帯があるし

そもそも一週間ほどの入院だったので

深くは考えていませんでした



でも状況はすぐに変わりました



入院して3日目

「肝機能が弱り始め

このまま帰れないかもしれない」と

パパからLINEがきました



え?

何言ってるの?

どう言う事?

でもそれっきりパパからの返信は

ありませんでした



面会も出来ない

洗濯物の受け渡しも一階だったので

パパの病棟には行けず

病院に来ているのに何もわからないまま

帰るだけでした



2日後

パパからLINEがきました

誕生日に一時帰宅すると…



「良かった 帰って来れるんだ」

嬉しくてたまりませんでした



ところがそれ以降

パパからのメールは文章が支離滅裂で

状況が全くわからなくなって

しまいました



パパに何が起きているの?

不安でたまらない日々が続きました



一時帰宅の前日

明日の事で病棟の看護師さんから

電話をもらいました

今しかない!

話が終わった時看護師さんに

今の状況を話しました



電話が終わってどのくらい経ったか

さっきの看護師さんから電話がかかって

きました



「今のパパの状態を主治医から説明させて

いただきますので来れますか?」と…



すぐに病院へ行き

ようやくパパの状態を聞く事が出来ました



主治医の話では

パパの状態は主治医でさえも驚くほど

進行が早く悪化していて

今週いっぱい持つかどうか…と



「今週いっぱい?」

そんな…

あと数日でパパは…



ショックで何も考えられませんでした

ただパパがそんな状態なのに私たちは

主治医から何も聞かされていなかった事が

信じられませんでした



これが普通なの?

あと数日しかもたないと言うのに

家族になんの話もないの?



あの時パパが

「誕生日は家に帰りたい」と

言わなかったら

私たちは何も分からないまま

パパの臨終を迎えたんだろうと思うと

悔しくてたまりませんでした



でもその悔しい気持ちよりも

残されたパパとの時間が

あと数日だと言う現実の方が優って

心の奥にしまいこんで

口にする事はありませんでした



あの時から3年

そして今年もパパの誕生日を

迎えました



あの時しまいこんだ思いは

これを最後に封印します



「もう良いだろう…」

パパがそう言ってる気がして。。。