いつも拙いブログを読んでくださり

ありがとうございます。



今は胆管がんで亡くなったパパの

闘病生活を振り返りながら

その時々にふと思い出した事
残された家族の日常などを綴っています。
以前書いた内容と被る事もあるかと
思いますがお許しください。


「お誕生日おめでとう🎊」


私の誕生日の朝
パパからの最後のおめでとうは
家族LINEからでした





二度目の大学病院に
入院してた時
その日は胆管がんが再発したパパが
まだまだ生きる為の治療を行う日でした
ERCP(内視鏡的逆行性膵胆管造影検査及び治療)


これでようやく肝機能も改善して
黄疸も解消されると思っていました


治療は夕方からの予定で
私は朝のパパからのおめでとうLINEに
一日中浮かれていました
なんて単純な


夜になって
パパからLINEがきました
無事に治療が終わったのかと
思ったら
結局治療困難で
胆管のつまりは解消されずのまま
終わったと…


え?
出来なかったって…


そしたら後はどうなるの?
その問いにパパは手術になりそうだと
答えました


それで私はホッとしました
まだ他に出来る治療があるんだと…


確かにのちに見た入院計画書にも
困難な場合は手術でと書いてありました




その時は私も
たぶんパパも軽く考えていて
その日の病院の夕飯や自宅の夕飯の写真を
送りあって楽しんでいました


「もう出来る治療はない」と知ったのは
誕生日から5日後の事でした


そしてパパが亡くなったのは
誕生日から1ヶ月も経たない日でした


あの日から
今年で3年が経ちました


それでもまだ自分の誕生日がくると
嫌な思い出が蘇ってしまいます
時を重ねてもまだ忘れられない記憶


今年の誕生日
1人で夜散歩に出かけました
夜空を見上げると
星が綺麗に輝いていました
それがいっそう悲しみを強くして


もう二度と
パパからのおめでとうLINEも
おめでとうの言葉もないんだよね
そう思ってしまうんです
そう思うと自然に涙が溢れてきました


夜で良かった
泣きながら歩いてるなんて
見られたくないから…


強くなりたい自分がいるのに
強くなれない自分もまたいます。。。