いつも拙いブログを読んでくださり

ありがとうございます。



今は胆管がんで亡くなったパパの

闘病生活を振り返りながら

その時々にふと思い出した事、
残された家族の日常などを綴っています。
以前書いた内容と被る事もあるかと
思いますがお許しください。


要介護3の認知症の母が介護施設に

入居しました。

元々要介護2だった母

認知症以外は持病もなく歩く事も普通に

出来ていました。



たまたま重なったのか

姉夫婦が突然の事故で入院してしまってから

母の認知は急速に進んでしまい

もう1人暮らしは無理だと考えました。



でも施設に入るには要介護3以上で無いと

母のような歩き回る人は難しいと言われ

まず介護度を上げる申請をしました。

それに3ヶ月かかりました。



それからいくつかの施設に申し込み

そこからはありがたい事にとんとん進んで

入居となりました。



その入居に当たって

たくさんの書類がありましたが

施設の入居だけでなくこう言う事も

今は必要なんだと思った書類がありました。



それが「終末期医療に対しての希望」

と言う書類でした。



自分が病気などで具合が悪くなり

自分で意思判断が出来なくなった場合や

回復の見込みがない、医療機関での

必要性が薄いと判断された場合

どうしたいか…



⚪︎医療機関で出来る限りの治療、

 延命治療を受けたい。

⚪︎施設で出来る範囲の苦痛緩和医療と

 自然な見取り介護を受けたい。

⚪︎施設以外の場所(自宅)で最期を迎えたい。

⚪︎家族の意向に任せる。



本来なら入居する本人の希望なのですが

認知症の母に変わって私たちが

いずれかに⚪︎をしました。

ですがこの希望は今現在の希望であり
気持ちが変わった時にはいつでも変更
出来るそうです。


胆管がんで亡くなったパパの時も
最後はどうしたいかを聞かれました。


延命治療をするのか
苦痛を緩和しながら自然に任せるか…
亡くなる2日前の事で
すでにいつともわからない状況でした。


ゆっくり考える余裕もなく
その時の感情のまま
自然のままでいいです。
でももうこれ以上苦しまないようにと…


コロナ禍で面会禁止になり
最後を看取ることも出来ないようになり
そしてそれは今も面会禁止や制限が
多くの病院等であります。
なのでこの終末期に対しての考えが
最後は自宅で迎えたいと言う人が
増えたと聞いた事があります。


私自身の最後はどこでどう迎えたいのか
考えてみました。


パパは胆管がんが再発や転移して
もう出来る治療が無いと言われた時
自宅に戻って地元の病院に通院しながら
好きな物を食べてその時を待つと
言いました。


最後も面会許可が出たので
病院で看取ることが出来ました。


私は…自分はどうする?


母のように介護施設に入居していても
パパのように病院に入院していても
最後は自宅で迎えたいと思います。


家族と一緒に日々を過ごして
家族の話し声、足音、生活音
何気ない日常の暮らしの中で
人生最後を迎えたいと今は思います。
ただ苦痛だけは緩和してもらいたいです。


終末期の選択…
実際は思うようにいかない事も
ありますよね。
それでもこれからも考えて行きたいと
思います。


もし母が認知症でなかったら
母はどの選択を選んだんだろう。。。