いつも拙いブログを読んでくださり

ありがとうございます。



三回忌を終えたので

ブログのタイトルを少し変更しました。

これからもよろしくお願いします。



今日は実父の話ですが

少し長くなります。



今週は父の命日がありました。

亡くなって14年…

14回目の命日でした。



私が子供の頃の父は
普段は普通の人なんですけど
一旦怒らすととても怖い人でした。


なんて言うか…
知る人ぞ知る「巨人の星」の
星飛雄馬のお父さんみたいな…


今だったら絶対DVとか虐待で
捕まっちゃうくらいの父でした。


そんな父でしたが
私が最初に結婚した頃から
一気に弱くなってしまって…


初めて脳血栓で入院した時なんて
面会に行くといきなり泣くんです。
「こんな体になっちまった…」って言って。
あの父が⁇って
もう私、びっくりしました。


脳の病気をすると認知が早いと
聞いていましたが
父の認知症はその通り
早めに状態が現れました。


最初の入院から数年後に
また入院する事がありましたが
ベッドにじっとしておらず
看護師さんの後をずっと
着いて回ったりしていました。


その入院時に父は
腹部の動脈瘤が見つかっていました。
普通なら手術をするのですが
父の血管はもう細くなりすぎて
手術が出来ず…


先生からは三年以内には破裂して
大量出血して亡くなると
言われていました。


違う病院に入院した時は
父を送ってきた母が家に戻る前に
父が暴れてこれでは入院出来ないから
迎えに来てくださいと
緊急連絡先の私に連絡が来て…


母は家に着くなり引き返して
父を連れて帰って行きました。
認知症だから仕方ないとは言え
どうしようもない父でした。


それからも父はどんどん認知が進み
母はずいぶん苦労していました。


特に毎日どこかに出かけないと
気がすまないようで
毎日毎日母は父を乗せて
父の言う場所まで出掛けていました。


一日に二回も行く時もあって
母はかなり疲れていました。


見かねて姉と私が交代で
父を乗せて出かけた事もありましたが
やはり母でないとダメで
私たちが乗せて帰って来たあとなのに
結局また母は
父を乗せて出かけていました。


でも動脈瘤の事があって
そんなに長い事じゃないと
思っていましたが
結局亡くなるまで動脈瘤は
破裂することはありませんでした。


なので認知が進み外出も出来なくなって
介護が必要になった時
大変だなとみなさんに心配して
もらいましたが
私たちにとってはこれで楽になると
特に母は喜んでいました。


最終的に父は
脳出血を起こして入院したのですが
すでにただ目を開けて呼吸をして
いるだけで
体を動かす事も話をする事も
誰が誰なのかもわからない状態でした。


その時父は79歳。
年齢も年齢だし仮に手術をしても
良くなる可能性は少ないとの事で
自然に任せる事になりました。


それからは私が病院から近いので
毎日父の顔を見て
洗濯物を持って帰る生活が
3ヶ月ほど続きました。


亡くなる前日も
変わらぬ様子の父でしたが
翌朝病院から
父が亡くなったと連絡が来ました。


結局最後は
誰も父を看取ることは
出来ませんでした。


私がパパと再婚する時に
実家へ挨拶に行った時…
父はすでに認知があったので
再婚する事もパパの事も
認識していたかはわかりませんが
喜んでくれたのは確かです。


同じ6月に逝ってしまった父とパパ。
そんなの一緒にしなくてもいいのに…


父のお墓も仏壇も実家に有りますが
母も認知が進み
なぜだか仏壇の蓋を閉めてしまって
お線香をあげることも
お供物やお花を飾る事も
もう何もしていません。


だから命日さえもわからないと
思います。


そんな母を見てると
私もいつか
パパの命日を忘れる日が
来るのでしょうね。。。