いつも拙いブログを読んでくださり

ありがとうございます。



今は胆管がんで亡くなったパパの

闘病生活を振り返って

その時々にふと思い出した事、

残された家族の思いなどを

綴っています。



二年前のちょうど今頃の事です。

以前にも書きましたが

この頃の私はどうしようもなく最低で

先の見えない現実に

自分自身どうしていいか分からずに

その矛先をパパに向けていたんだと

思います。



パパは再び大学病院に入院する為に

しばらく診療を休む事になり

その日…

最後の仕事を終えました。



最後と言っても

今度の入院の一番の目的は

地元の病院でうまく出来なかった

詰まっている胆管のところを

胆汁がうまく通るようにしてもらう

ERCP…

(内視鏡的逆行性膵胆管造影検査及び治療)

そして再発した胆管がんの治療でした。



なのでそれらが終わったら

また仕事に復帰する。

そう私もパパも思っていました。



何より地元の主治医からは

まだそこまで肝臓の数値が悪いわけでも

ないしと言われていたから

まさかここまで悪いなんて

思っても居ませんでした。



ただ私はもう

病院は閉めて治療に専念して欲しいと

思っていましたが

パパはそれでもなお病院は閉めないと

言い続けていました。



だからとりあえず

休診にするしかありませんでした。



でもパパはその頃には

だいぶ体調が悪かったと思います。

いえ

悪かったんです。



最後の仕事を終えた日は木曜日でした。

その週の初めの日曜日の朝

「もうだめだ!大学病院へ行く!」

そう言ったんです。



でも今度は長い休診です。

いつ始められるかもわからない

休診です。



だから月曜日〜木曜日の

予約の患者さんを中途半端にする

わけにも行かず…



しかも月曜日は

他医院の先生から紹介された患者さんの

手術があります。

やらない訳にはいきません。



私は「患者さんはどうするの?」

パパを心配するより

患者さんの事を

一番に思って言ってしまいました。



私がそう言うとパパは何も言わず

ベットに横になりました。

パパはパパ自身と格闘していたのかも

しれません。



結局その日はそれ以上何も言わず

一日中ベットで寝ていました。

そしてなんとか月曜日〜木曜日まで

仕事をする事が出来ました。



たぶんパパは

私の事を恨んだだろうと思います。

寄り添う事も出来なかったんだから

恨まれても仕方ないです。



この時ばかりは

いっしょに仕事をしていた事を

恨みました。

そしたら何も考えず

直ぐに病院へ連れて行ったのに…



ただ日曜日に一日中寝ていたからか

月曜日〜木曜日は

体調が悪いながらにも良くて

パパを心配して来てくれた人たちとも

笑って話をしていたので

ホッとしました。



最後の仕事を終えた時

パパはいつものように

パソコンの前にメガネや拡大鏡

ペンケースを置いて

一瞬私の方をチラッと見て

何か言いたげなまま

自宅へ戻って行きました。



その時の事はパパが亡くなった今でも

私の記憶から消えません。



薄情な私に対する

何か強い感情を言いたかったのかなと

私は思っています。



ただ…

自宅に戻ってからは

いつものパパに戻っていたので

私の思い違いだったかも

しれません。



次の日大学病院へは

娘の運転で高速に乗って行きました。



朝早く出たので

途中のSAで朝食を食べました。

私と娘はおにぎりを

パパはしょうが焼き定食を食べて

「しばらくシャバの飯が食べられないから」

そう言ってご飯をおかわりしていました。



こんなに食欲もあって

冗談も言って…

だから勘違いしちゃった。



治療が終わればまた元気になれる。

また仕事ができるって。



パパの体はもう

末期の状態だったなんて…



パパといっしょにいられる時間は

あと少ししか残っていないなんて…

これっぽっちも思ってなかった。



そんなになってたのに

私は冷たい態度ばかりで

一度だってパパに寄り添って

あげなかった。



バカみたいに

また直ぐに復活するって

なんの疑いも持ってなかった。



パパの末期を知ったのは

入院からわずか一週間後でした。



二年前の今頃の私は

こんな状態のパパに寄り添う事さえ

出来なかった。



優しい言葉のひとつも

言ってあげられなかった。



本当最低。

後悔なんて言葉じゃすまされない。



きっとパパは私のこと

恨んでるよね。



ごめんなさい。