いつも拙いブログを読んでくださり

ありがとうございます😊



今は胆管がんで亡くなったパパの

闘病生活を振り返って

その時々にふと思い出した事などを

綴っています。



【葬儀の話②】



前回の続きです。



パパが亡くなる数日前に

1日だけ自宅に帰って来た時が

ありました。



その時すでにパパは

自分の余命を知っていました。

残された命はあと数日

家に帰れる最後のチャンスだと…



だからこそ家に戻って

いろんな事を伝えたかったのだと

思います。



コロナ禍で面会が出来なかったし

頼みのLINEも

すでに何を伝えたいのかわからない文章に

なっていました。



家に戻った時にパパから

「俺が死んだら連絡して欲しい」

「連絡先は机の上に貼ってあるから」と…



その連絡先が書いてあるメモには

いくつかの連絡先が書いてありました。

それ以外にも

知らせて欲しい何人かの名前を

教えてくれました。



「わかった。」

「この連絡先に電話すればいいのね。」

そう言うとパパは

「頼むぞ!」と…



あとは

「葬儀は〇〇でやってもらって」

「遺影はいつも使ってるあの写真を」と…



パパはこんなになっても

自分の死んだあとの事まで

考えて…

伝えて…



パパは胆管がんとわかってから

弱音を吐くことは一度もなかったけど

まもなく消えてしまうだろう

自分の命を前にして

こんなにも気持ちが強いものかと

思いました。



そして

これだけの事を伝えるパパはきっと

みんなに葬儀に来て欲しいんだなと

来てもらってお別れをしたいんだなと

思いました。



だから故人の意思を汲んで

家族葬ではなく一般の葬儀をする事に

決めました。



パパの葬儀当日…

ご会葬には400人以上の方々が

来てくださいました。

当日来られなかった方々を合わせれば

500人近くにもなりました。



たくさんの皆さんに会えて

お別れが出来て

パパ嬉しかったろうな。。。





【胆管がんだったパパの経緯】


2019年(令和元年)9月末に

パパは体調不良を訴え

胆管がんだとわかりました。

正確にはほぼ胆管がんだろうと…



なぜなら手術前の検査では

癌細胞は見つからなかったからです。

ですが検査結果や症状などから

胆管がんだと…



はっきりわかったのは

手術で取った細胞を病理検査に出して

ようやく胆管がんと確定されました。



2019年12月に手術

退院後数日経って腹膜炎をおこし再入院

完全退院は翌年2020年(令和2年)の1月末頃でした。



その後は予防的抗がん剤を経て

2020年7月より定期的に経過観察をしながら

平穏に暮らしていました。



ですが同年12月に腫瘍マーカーが

上がり始め

2021年(令和3年)2月より上昇原因を探す為

造影CT→MRI→CT→骨シンチを経て

ようやく骨転移がわかったのは

同年4月初旬でした。



その後すぐに肝臓の数値が上がり始め

同月に胆管がんの再発がわかりました。



しかしながら

抗がん剤や放射線治療をするには

肝臓の数値が良くならないと

出来ないと言われ



その間にも腹水、胸水が溜まり始め

なんとか対処しながら

肝臓の数値が良くなる事を

祈っていましたが

同年6月…

パパはこの世を去りました。



同じ胆管がんで闘っていらっしゃる方々に

いろんな事を伝えていきたいと思い

始めたブログでしたが

手術から一年半の短い闘病生活でした。