大和銀行巨額損失事件の顛末---獄中手記「告白」の衝撃 | ブロッコリーな日々

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大和銀行巨額損失事件の顛末

---獄中手記「告白」の衝撃

{事件の概要}

1983年、アメリカ合衆国でマツダ自動車のディーラー営業を経て大和銀行(当時)ニューヨーク支店の本社採用嘱託行員となった「井口俊英」は、変動金利債の取引で5万ドルの損害を出すのだ。

 

損失が発覚して解雇されることを恐れた「井口俊英」は、損失を取り戻そうと米国債の簿外取引を行うようになる。彼は、書類を偽造し、損失を社内でも限られた人間しか知らないシステムコードで隠蔽していたため、表面的には利益を出しており、すぐに発覚せず、上司の信用も増していった。

 

同支店の管理体制には、国債のトレーダーと支店の国債保有高や取引をチェックする人が同一人物という不備があり、支店長は単に"飾り物"という状態であった。そのため実質的に支店ナンバー2として支店業務を統括していた彼の不正は12年も発覚しなかった。

 

1995年には大和銀行の損失は、当初の2万倍以上に膨張し、最終的に11億ドル(当時の対円ドル為替レートで約1100億円)にも膨れ上がった。

 

彼は、膨れ上がった膨大な負債を処理しようと、ますます大きなトレードを行うようになるのだ。

しかも、あまりにビッグプレーヤーになってしまった井口の取引は、市場参加者に井口の手を容易に読まれて、市場で捌ききれなくなり、完全に破綻してしまうのだ。

 

1995年7月、「井口俊英」は、遂に不正による巨額損失を大和銀行上層部に手紙を送った。彼の突然の告白に、銀行上層部は、慌てて当時の大蔵省へ報告した。

 

また大蔵省からの米国連邦準備制度理事会(FRB)への報告は、なんと6週間後と後手に回り、アメリカ当局から『隠蔽』と判断される結果となった。

 

1996年2月28日、大和銀行は司法取引に応じ16の罪状を認めるに至る。

当時の米刑法犯の罰金としては、史上最高額といわれる3億4千万ドル(当時の為替レートで約350億円)の罰金を払い、大和銀行はアメリカ合衆国から完全撤退という厳罰が下された。

 

{告白}の衝撃

とてつもない運命に翻弄される大和銀行のトレーダー。

5万ドルの損失を取り返そうと、彼は無断取引をはじめる。そして、足掻けば足掻くほど深みにハマるのだ。

 

印象深いのは、家庭崩壊の後、彼を必死で支えていく現夫人「明美」さんの存在だ。

想像できないほどの障害を乗り越え、稀に見る純粋な愛情で結ばれていくのである。

 

この{告白}は、恋愛ノンフィクションとしても十分な魅力を蓄えている。

文春文庫に収録されているので、ぜひ読んで欲しい。

マスコミ報道が伝えられなかった真実が語られる。

 

注意:この記事は2019年1月に掲載したものです。