プロ野球を知らない高塚猛は、プロ野球の在り方を変えた | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

高塚猛というプロ野球での名プロデューサーを覚えていますか。

2017年、長い闘病生活の末、彼は他界した。

彼は、ダイエーホークス、現在のソフトバンクホークスを福岡に根付かせた立役者であった。

短い期間であったが、1999年に、彼が球団にもたらしたものは、プロ野球とは関係のないリクルート社内で培われていた成長モデルの移植である。

 

現在では、彼の手法はパリーグ全球団が採用するお手本となっているのだ。彼の名は「高塚猛」という。

高塚猛は、リクルートが買収した「盛岡グランドホテル」を廃業寸前から見事に再建した実績があった。

ある日、ダイエー創業者「中内功」は、本社に高塚を招いて懇願したという。

「福岡が大変なんだ、キミの力で助けて欲しい」しかも無給という条件付きであった。

 

1999年、創業者に頭を下げられた高塚は、こうして福岡に出向した。

ところが、福岡ドーム・シーホークホテルの当時の支配人「安田浩明」は、この人事に猛反対する。「いいか、高塚の命令には従わなくても良いぞ。野球のルールも知らないリクルートのおっさんが、何がホテルの再建だ、何がホークスだ」安田は、1ヶ月もあれば逃げ出すだろうと踏んでいたという。

 

ところが、高塚猛は尋常な人物ではなかった。彼の平均睡眠時間は3時間という怪物であった。

しかも、数的分析力に優れていた。安田浩明は、部下に命じて逐一高塚の行動を報告させた。

 

高塚は、シーホーク内のすべてをチェックして回り、自室に戻るのは午前2時すぎ、そして翌朝5時には起床していた。早朝6時には朝食を済ませてスタッフ全員に声を掛けていた。それが何日も続いたのである。

 

そのうち、支配人・安田の部下が、高塚に安田への不満を漏らし始めたという。

さらに高塚が凄いところは、「そうか、この前、支配人がキミをほめていたよ」と、さらりとその部下に作り話を囁くのだ。今度は、部下が上司の安田に「高塚さんが支配人を誉めていました」と囁いている。

支配人の安田浩明は「もうお手上げでした、ギブアップでした」と、後に述べている。

 

高塚猛は、確かに野球を知らなかった。知らないからこそ、革新的な選手の評価基準を導入することができたのだ。たとえば、盗塁の成功率だ。現在では想像もできないが、ホークスはリーグで一番盗塁が少なかった。

スコアラーからデータを受け取った高塚は、細かく数字を分析し、盗塁のチャレンジを評価ポイントに加えたのだ。その結果、選手の意識が変わる効果をもたらしていく。

 

さらに、空席を埋めるために、営業の反対を押し切って、招待券を西日本新聞社に大量に配っている。

続いて、一律2千円で2軍戦を有料にして満席にした。2軍選手には評判が大変良かったと云う。

勝った場合には、ゲーム後にヒーローインタビューが行われる。高塚は、当日のヒーロー小久保選手を呼んでこう言ったと云う。「小久保さん、インタビューでは必ず球場に応援に来てくれたファンの皆さんのおかげです、と声を張り上げて欲しい」と。さらに高塚は、私設応援団のところに出向き、「ヒーローの選手は、ファンの皆さんのおかげですという言葉を発するので、その言葉に続いて鉦や太鼓で盛り上げて欲しい」と約束した。

 

その夜、プロ野球観戦はこんなにも楽しいという感想を抱いて多くの観客は球場を後にした。

さらに、高塚猛は奥の手を用意していた。それは、リーグ優勝を達成した場合には、日本シリーズの放映権を与えます、というものであった。地元のテレビ局は大喜びした。まだ開幕前である。

 

だが、そのテレビ局は、番組編成に変化を見せてくれる。局を上げてダイエーホークス応援一大キャンペーンを繰り広げたのだ。たとえば天気予報、背後の映像をそれまでの海や山からダイエーホークスに替えたのである。

高塚猛は、ダイエーホークスというエンジンを使って福岡のみならず九州全体の地方創生をやり遂げたのである。

 

現在では、パリーグのみならずセリーグでも当然となった観客ファンへの呼びかけである。

それは、人気チームと長い間定評を博してきたジャイアンツでもタイガースでも同じ現象になっていた。

 

プロ野球を知らない高塚猛は、プロ野球の在り方を変えてしまったのだ。。