消費者の消費行動が多様化し、大型百貨店は、それぞれに存亡の危機にある。
高島屋は、1831年(天保2年)に京都の烏丸通に誕生している。
江戸時代に貧しい夫婦が始めた古着屋であった。初代の飯田新七は、店頭に並べようにも仕入れ代金にも事欠く有様であったという。それでどうしたのか。考え込んだ新七に為すすべはなかった。
その時、妻が助け舟を出してくれたのである。嫁入りの際に父がいくらか用意してくれた自分の着物を出してくれたのである。
嫁入りダンスを開けて、「この着物を並べてくださいな」と云ってくれた。「それは、お前の大切な着物ではないか」
「この店が上手くいけば、またいつでも買えるではありませんか」と、妻は重ねて言ってくれたという。
飯田新七は、妻の言葉に感動したという。それから二人で、四条にわたる創業の精神を決めたのだ。
その第一条には、「自他の利益をはかるべし」と明記されている。
彼は、いつもお客様ファーストを心掛けていたという。店先には、急な雨降りに役に立つように、貸し出し用の雨傘も用意しておいた。その傘は、店のお客様だけでなく、通行人にも貸してあげた。当時、そのようなサービスなどはどこにもなかった。
さらに、夫婦は誰よりも早く起きて、店頭の庭掃除から始めたそうだ。
そうした間に、京都で噂が拡がっていく。「高島屋というのは、えらい働き者やそうな。見どころがありまんで」
「高島屋」の繁栄は、1864年(元治元年)京都の中心街が戦場になった幕末の動乱まで続くことになる。
この老舗百貨店は、明治維新後に大きく飛躍することになる。代替わりを繰り返しても、彼らは創業の四か条を忘れたことがなかったそうである。「自利利他」こそ、創業以来の家風なのだ。