素人でプロになった選手がいる。カルロス・エンリケ・ラポーゾ、通称カルロス“カイザー”のことである。
本人の言葉によると、2003年に引退するまで、1試合もプレーしないまま26年間も彼はプロであり続けたという。
嘘のような本当の話である。
しかも、その所属クラブにはサッカー王国の“首都”リオ・デ・ジャネイロのビッグ4、ボタフォゴ、フラメンゴ、フルミネンセ、バスコ・ダ・ガマが含まれ、チームメイトにはベベットやリカルド・ローシャらの超一流がいたのだから呆れる。
くり返すがこれは実話である。しかも、ブラジルサッカー連盟にはプロ選手登録された記録がちゃんと残っているのだ。
そのカイザーを扱ったドキュメンタリー映画が『Kaiser: The Greatest Footballer Never to Play Football』である。
彼に付けられた偉大な愛称である。それは、「決してプレーしなかった偉大なサッカー選手」というもの。
カイザーの“現役時代”80年代、90年代といえば、まだインチキな人物が跋扈(ばっこ)する隙間が残されていたのだろう。
クラブの方は正体のよくわからぬ選手と長期契約を結ぶわけにはいかないので、1カ月とか3カ月とかの短期契約で「あの選手の薦めなら……」と練習に参加させテストした。だが、その「あの選手」というのが実は別の選手の紹介の紹介で、知り合ったのも夜のディスコだったりで、結局誰が実力を保証するのかよくわからないままだったりした。
カイザーのやり口は、契約の前払い金をもらい、負傷を装って練習もプレーもせず、そのままお払い箱になって次に行く、の繰り返しだった。ベベットらチームメイトは下手くそさ加減に大笑いだったようだが、負傷が理由の退団だったから“未知の大器”のまま。履歴書に傷がつくどころか、逆に在籍クラブの名を1つ加えて箔をつけての移籍だった。
カイザーは「サッカー選手に必要なものをボール扱い以外すべて持っている」と言われたほど、フィジカル的には素晴らしいものがあり、ボール抜きで調整している限りはプロのアスリートを装えたし、頭も良くコミュニケーション能力や交渉力も抜群で、人の心をとらえるのもうまかった。
ボール扱いは駄目でも人扱いは超一流だったのだという。
“夜のセンターフォワード”として鳴らし、その派手な交友関係の人脈を使って、会長やチームメイトに便宜を図ることもあった。顔が似ていたレナート・ガウショを装って女性をベッドに連れ込んでも、お金を騙し取ったりということはなかった。だから、レナート本人ともすぐに友人になっている。
結果、悪口を言ったり告げ口をする者もいなかったので、知っている者は知っていたが暗黙の了解のまま、インチキなキャリアを続けることができたのだった。
敵がいなかったというのは、人望だったのだろう。ドキュメンタリーには証言者としてベベット、リカルド・ローシャ、ジーコ、レナート・ガウショ、カルロス・アウベルトらブラジルサッカー界の重鎮が登場しているが、生真面目なジーコ以外は、カイザーのことを非難したり嫌ったりしていない。
このカイザー、実は日本では結構知られた存在で、日本語版のウィキペディアはポルトガル語版より詳しいくらい。
だが、いくら嘘で塗り固めたとはいえ、『Kaiser: The Greatest Footballer Never to Play Football』には見る価値がある。嘘のサッカー選手であることは知られているが、そこで話が終わっていないのだ。
「あれは嘘でした」という告白は懺悔に聞こえるから心情的には信じたくなるが、実はそれこそ嘘かもしれないし、少なくとも誇張はあるだろう。武勇伝を“盛る”のは誰しも心当たりがあることだ。
今からほんの少し前、緩い時代に緩い国で起きた、信じられないファンタジーである。
見逃した人には激しくおススメ。