大阪で貿易商「永光」を営む小山良社長は、日本一のアイデア商品のヒットメーカーである。
ときは2011年3月である、東日本大震災と福島第一原発事故で、被災地ではマスク需要が急増。
瓦礫から舞い上がる埃と原発からまき散らされる放射性物質で人々に深刻な健康被害が懸念された。
そこに大量の、10トントラック3台分のマスクが緊急輸送され、自衛隊によって無償配布された。
このマスクを提供した人こそ、伝説の主人公と謳われる貿易商「永光」社長の小山良氏である。
台湾の経済界には「永光ベンツ」という伝説があるという。
日本の「永光」と取り引きできた工場の社長は、ベンツのしかも最高級車に乗れるまでに出世する、という伝説である。
実際に、かつてはうだつの上がらなかった5人の台湾人社長が、今は運転手つきのベンツに乗っているという。
無名の小さな会社が次々にヒット商品を生み出すことを知って、日本の二大総合商社のうちの一社が、「永光」の買収に動いたことがあった。
株式を取得して子会社にして、将来性のある優良会社として上場させ、その後の株価高騰を狙うという錬金術を目論んでいた。商社側は、買収後の「永光」の社長に社員を送り込むつもりで、小山氏自身も身を引くことを了承していたという。
ところが、商社の担当役員が内情を詳しく調べてみると、小山社長ひとりのアイデアで伸びてきた会社であることが判明した。彼がいない「永光」は抜け殻も同然だ。結局、社員として小山氏を取り込めない限り意味がないという判断で、この買収話は沙汰やみになった。嘘のような買収話であるが嘘ではない。実話である。
なぜ、小山社長は突出して成功できたのだろうか。
自伝を読むと小山社長の凄さが理解できるだろう。紛れもなく、彼は超人であると思う。
彼が起業したのは大学在学中という。いわばビジネス界の大谷翔平と呼ぶべきか。
小山社長は、週刊文春の取材に答えて「私の信条は面白いからやる、だ。いくら儲けようという考えでは手を出さない。
人ができない、おもろいことをやる、最初から稼ごうと思えば成功などできないものだ」と述べている。
面白いと考えて商品化した「かるがも時計」は、なんと600万個も売り上げた。
小山良社長は、35年で38回のミリオンセラーを達成した伝説中の成功者なのである。
念のためにミリオンセラーとは、100万個の販売数である。信じられるだろうか。
小山社長殿、恐れ入ってございます。
