スカスカ菅首相には、歴史を学んで欲しい | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

菅首相の発信力不足は如何ともしがたい。

歴代の首相は、初代の伊藤博文から数えて60人を超えるが、最近の首相は安倍前首相を含めて小人物だけのように感じてしまう。特に、菅首相のコミニュケ不足は問題があると思う。

 

先日の緊急事態宣言の発令会見は、何が言いたかったのだろうか。

官僚が書いた駄文を無表情・無感動で棒読みし、隣の尾身会長を白けさせていた。

 

どう贔屓目に見ても、これでは国民を動かすことはできない。首相としては、最低・最悪の会見だと思う。

イギリスやドイツの首相とは雲泥の差だ。まったく、国民として情けないと思う。まだ間に合うので、今からでも明治維新後の元勲たちに学び直して欲しい。

 

歴代の総理大臣では、初代から国家危難の度ごとに登場してきた伊藤博文は、通算4度も首相に就いた。

在任期間の長い首相には、桂太郎、吉田茂がいるが、伊藤博文ほど国家・国民の事を考えて首相を務めた人はいないのではあるまいか。

 

伊藤博文は、近代国家になくてはならない憲法制定のため、1年半かけてドイツ、オーストリアに渡り、一流の憲法学者の教えを受ける。

 

そして帰国。横須賀の別荘に泊まり込み草案作成のため何日も泊り続けている。

同席したメンバーに、井上毅、伊藤巳代治、金子堅太郎、政治顧問のロエスレルであった。

 

1890年(明治23年)、第一回衆議院議員総選挙が行われた。

伊藤博文は、彼の才を見出した恩師の吉田松陰から「周旋の才あり」と称賛されている。

彼を独裁者と非難したおバカもいたそうだが、とんでもない話だ。

 

伊藤博文は、学者や医者の息子ではなかった。サムライの出身でもなかった。いや、農民の子ですらなかったという。利発な少年がいるという噂を聞いて吉田松陰は、伊藤博文を松下村塾に迎え入れている。

 

明治維新を成し遂げた志士たちは、決して褒められる家庭の出身ではない。

坂本龍馬でさえも直参武士ではない。武士よりも下位の郷士と呼ばれる差別待遇に甘んじていた階級であった。

 

菅首相は果実農家の出身だそうな。政界には、2世議員が多いが、管理人の私は世襲議員には反対である。

なぜなら、世襲議員は苦労知らずで父親の議員席を譲ってもらい、生活苦も知らない。

そんな意味で、菅首相には期待したが、大いに期待外れであった。

中味は、スカスカであった。