植民地政策は割に合わないとデータ分析で解明した言論人 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

植民地支配は、経済合理性がないと看破したジャーナリストがいた。

彼の名は「石橋湛山」という。戦前に活躍した異色の言論人である。

彼は、福沢諭吉を深く尊敬していたという。

石橋湛山はジャーナリスト、エコノミスト出身で戦前からの自由主義者である。

 

戦前から日本の満洲国経営を含む海外膨張主義(覇権主義)を厳しく批判し、「小日本主義」を提唱したという。戦後は戦前日本の侵略を批判し続けていた。欧米では、帝国主義と呼ばれて先進国を支配していた。

 

石橋湛山が、同じ東洋経済新報社の評論雑誌「東洋時論」の記者として活動していた大正元年、英国の二大政党における大英国主義(保守党)と小英国主義(自由党)になぞらえて、日本の軍備拡張、植民地経営の拡充など、帝国主義的政策方針を批判しているのだ。

 

彼は、1913年に政府の統計資料をもとに実際に植民地経営のコストを計算してみたという。

日本が植民地に送り出した移民はわずか40万人であった。しかもそれに伴う国家の経費は5000万円を超えていた。一人当たりの経費は131円となり、国内人口の一人当たり10円よりもはるかに大きい物であった。

これでは、何のための植民地政策なのか分かったものではない。

 

石橋湛山は、植民地を保有することから得られる経済的利益が9億円であるのに対し、アメリカとの輸出入の合計が14億円、インドが6億円、イギリス3億円という数字を出して、わずか9億円のために植民地をめぐる紛争に振り回されるのは愚の骨頂だと主張した。さらに、今保有している植民地はすべて放棄した方が良い、という自説を曲げなかった。

 

「小日本主義」の内容は、老荘思想的な理想主義によって立つものでは決してなく、むしろ、どろどろに現実を直視し、いやらしいくらいにソロバンずくで、その結果、どうソロバンをはじいてみても割に合わないのだという、ある意味同時代のどの現実主義者よりも現実的な視点に基づくものであったといえる。

 

これらの姿勢、国を愛すが故に国の将来を憂い、自分の立場を犠牲にしても激烈なる批判を述べる使命感の強さと自己犠牲の精神、その激烈さの中に、客観的、実際的に国家の利害を計算する緻密さと論理性、さらにそれらの前提として守らんとした「言論の自由」への強い思いは、その後の湛山の言説、ならびに行動に一貫して、否、一貫どころか、もはや悲壮と呼べるほどの激しさを増して受け継がれている。