日本人技術者「八田與一」
台湾南部・台南市に烏山頭水庫と呼ばれる大きなダムがある。
台湾は、日清戦争後の1895年~1945年まで50年間日本の統治下に置かれていた。日本統治下に日本政府は台湾のインフラ整備をした。10年がかりで完成したダムは、事故により50人以上という犠牲者を出している。
このダムの設計段階から完成まで、家族と共に現場に住み込んで工事を監督した技術者こそ「八田與一」である。
烏山頭ダムは1920年に着工し10年の歳月をかけて1930年に完成したダムで、完成当時は東洋一の規模を誇ったダムであった。嘉南平原の農業灌漑を主目的として建設され、ダム完成後に台湾最大の穀倉地帯になっている。
このダムを建てた八田與一の功績に関して、台湾の人々は非常に感謝しており、教科書に載るほどに尊敬されているという。
多数の犠牲者を出したのは、工事現場で起きた石油ガスの大爆発によるものであった。
八田與一は、失意に沈んでいたが、住民は「最後までやって欲しい、事故はあんたのせいじゃない」と総出で慰留したという。
1930年、ダム工事は完了する。八田與一が構想し、設計したダムによって、嘉南平野は不毛の大地から緑の大地に生まれ変わった。米国の土木学会は、「八田ダム」と命名し、世界に発表したそうである。
今日の台湾経済の発展は、日本の統治下において、有効な施政があったせいだという意見が多い。
管理人の私は、尖閣諸島は台湾に移譲しても良かったと思う。
毎年、台湾の人たちは「八田與一」の慰霊追悼式を欠かさず行っているという。