ビルゲイツのパクリ?IBMと新規契約したMS-DOSの秘密 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

ビルゲイツが大富豪の扉を開けたのは、IBMに基本ソフトを提供したことである。

画像は、ハーバード大学在籍中に起業した若き日のビルゲイツ

 

マイクロソフト社は発足当初、BASIC などのアプリケーション・ソフトウェアを販売するだけの小さな会社だった。しかし、ここに転機が訪れる。当時、コンピュータのOS のデファクト・スタンダード は、デジタル・リサーチ社が開発したCP/Mであった。マイクロソフト社もCP/M用のソフトウェアを開発していた。

また、このころ、アップル社がAPPLE IIによって、巨人IBMの巨大コンピュータ路線を徹底的に批判する形で、急速にパソコン市場を拡大していた。

アップル社の挑戦に急いで対抗を迫られたIBMは、ビジネス向けのパソコン、IBM PCを開発するに当たって、OSを外部に委託することを決定した。
 

当初はもちろん、デジタル・リサーチにアプローチをかけたが、社長のゲイリー・ギルドール氏とうまくコンタクトをとることができなかった。

そこで、IBMはBASICを委託することにしていたマイクロソフト社に相談した。ビルゲイツは一世一代のチャンスだと捉えた。だが、基本ソフト開発にはまだ時間を要したのだ。
 

当時、CP/Mの互換OSを開発していた、ティム・パターソンというプログラマーがいた。マイクロソフトはその互換OSを、25,000ドルで買い取り、MS-DOSと名を変え、IBMとの契約にこぎ付ける。つまり、パクリであった。
しかし、IBM-PCは予想以上に売れた。そのためMS-DOSは爆発的に普及し、業界標準となり、デジタル・リサーチのCP/Mを追いやってしまった。

デジタル・リサーチのゲイリー・ギルドールは、「20世紀最大のビジネスチャンスを逃した男」と言われることになる。


マイクロソフトは、何も独創的な製品で成功を収めたわけではない、ということだ。

BASICにしても、MS-DOSにしても、すでにあった製品のコピーもしくはパクリである。この傾向はこの後のマイクロソフトの製品にも続く。
 

OSで、大勝利を収めたマイクロソフトだったが、これまでのアプリケーションソフト市場ではシェアを延ばせずに苦労していた。ワープロソフトのワード、表計算ソフトのマルチプランを持っていたが、それぞれ、ワードパーフェクト社のワードパーフェクト(日本では一太郎)、ロータス社のロータス1.2.3、によってシェアを奪われていた。しかし、これらはウィンドウズの発売で、大きく変わる。
 

1984年、APPLE IIに見切りをつけた、アップル社が一発逆転を狙って、マッキントッシュを発表する。アイコンで操作するグラフィカル・ユーザー・インターフェイス(GUI)をいち早く導入したその快適な操作性は、世界中をアッと云わせるのだ。
 

マッキントッシュの成功で、GUIの重要性を認識したマイクロソフトは、ウィンドウズを発表する 。これも、実はマッキントッシュの操作性をまねて作られている。だが、当初は速度が遅くて使い物にならなかった。しかし、1993年、ウィンドウズ3.1が発表されると、ようやく実用的になり、普及するようになった。ビルゲイツは、優れた技術者というより抜きんでた市場分析家であった。

 

日本のジャストシステムは、一太郎というワープロソフトで圧倒的なシェアを誇っていたが、マイクロソフトによって市場から駆逐されてしまった。ビルゲイツは、はっきり口にしている、「ジャストシステム」を潰せ、と。

 

パソコンメーカー各社は自社のパソコンにワープロや表計算といったソフトウェアをあらかじめバンドルして販売していた。マイクロソフトは、そこに目をつけ、自社のワープロや表計算をバンドルすれば、ウィンドウズのライセンス料金を軽減するという措置をとったのである。おそるべき野心家である。
 

さらにマイクロソフトは、マッキントッシュOSの開発プログラマーをたくさん雇い、ウィンドウズ95の開発を進めた。操作性はさらにマッキントッシュに近づき、ごみ箱やフォルダ、ショートカットなど、マッキントッシュとほとんど変わらないまでになった。

 

ところが、彼のミスは、インターネットの普及に気づかなかったことに集約される。 

インターネットはウィンドウズ95が出た95年ごろから、急速に普及していた。そこに目をつけて、彗星のごとく現れた会社が、Netscape Navigatorを開発したネットスケープ社である。

 

マイクロソフトはこのネットスケープ社を倒すため、自社製Webブラウザのインターネットエクスプローラーを開発した。しかし、当初は、ネットスケープとの性能の差は歴然としており、ネットスケープのシェアは90パーセントを超えていた。


だが、マイクロソフトは奥の手に出る。ウィンドウズ95にインターネットエクスプローラーを無償でバンドルしたのだ。これによって、有償だったネットスケープのシェアは揺らぎ、その後、目立ったバージョンアップができず、シェアは転落した。

 

ただこのITの世界は、技術が日進月歩だ。

それが検索エンジン、グーグルの出現であった。このグーグルも若き日のビルゲイツと同様にとても優秀な大学生だったのである。

 

程度の低い生徒にレベルを合わせる日本の教育方針には、大きな欠陥があると思うのである。

日本では、組織力を大事にする代わりに、個人の突出した起業は生まれない。