アイドル冬の時代
---突如現れたAKB48の躍進
AKB48は、平成17年12月8日に活動を開始した。
秋葉原に専用劇場がオープンする。隣には併営のカフェも開店した。
このカフェでバイトから始めたのは篠田麻里子である。
高校時代からテレビの構成作家をやっていた天才・秋元康は、かつておニャン子クラブでブレイクし、作詞家としても成功し大きな財を成していた。
そして、歌謡番組は次々に姿を消していた。アイドルになっても出演できる番組はなかったのだ。
秋元康は、次のアイドルシーンを考えていた。彼は、おニャン子クラブの後継者を育てようとしていた。
どこに小劇場を構えればいいのか。市場調査を兼ねて秋葉原にやって来た。そして、何か心に響くものがあった。
秋葉原=AKIHABARA=AKB よしそれでいこう。
初回ライブの観客はたったの7人だった。
彼女たちは、それでも懸命に歌い、踊った。練習に明け暮れる彼女たちには、いつしか連帯感が生まれていく。
やがて中心メンバーになる前田敦子は、まだ14歳である。
秋元康が打ち出す戦略に間違いはなかった。たとえばCDには握手券を付けた。その券は、公演後に行われるファンとメンバーの交流・握手会の参加権利である。
これをファンは、競って買い求めたのだ。当時CDの売り上げには各社とも苦戦を強いられていた。ネット配信がスタートしたのだ。
売れるのはAKBばかり、といった状況になっていく。
アイドル商法は、この新型コロナウイルスの感染拡大によって、壊滅的打撃を受ける。
コロナウイルスがなくても、アイドルビジネスが曲がり角にあったことは確かである。