沖縄発信ではなかった「島唄」の真実
その独特な音調から誰もが沖縄発信の楽曲だと思った。
それが宮沢和史の「島唄」であった。
彼は、山梨県生まれだ。沖縄の「ひめゆり平和記念資料館」を訪れた際に、
ひとりの老婆から悲惨な戦争体験を聞くことになる。
同時に彼は、沖縄の自然の美しさに魅了された。そして、天から舞い降りた旋律が「島唄」なのだ。
彼は、その老婆に聴いてもらいたい一心でその曲を書きあげた。
「島唄」の歌詞をかみしめて聴いて欲しい。米軍が上陸した沖縄での戦闘は、悲惨を極めたそうだ。
このなかで、集団自決を暗示するような場面がある。
「島唄」は沖縄音階で作曲されている。ところが、その箇所だけは、通常の内地での音階になるのだ。
それが、何故だかお分かりだろうか。変調には恐るべきメッセージ性が込められているのだ。
それは、『私たち沖縄人は、内地の犠牲になったのだ』という、誰にもぶつけようのない怒りである。。