日本中を恐怖に陥れた「草加次郎」、
その発端は1962年(昭和37年)11月4日であった。
島倉千代子
品川区にある「島倉千代子後援会事務所」に届けられた封筒が爆発した。開封した事務員が負傷した。送り主の名前は「草加次郎」とあった。闇に消えた「草加次郎」事件がここから始まる。
同様の封筒が歌手や女優宅に届けられた。この11月だけでも都内で5件の爆発が発生していた。
「島倉千代子」を狙ったのは、ただ人気歌手というだけで誰でも良かったと思われる。
話題狙いの「愉快犯」だった可能性が高い。
さらに、地下鉄銀座線の京橋駅で爆発、13人が重軽傷を負った。
この1連の爆弾騒ぎは都民を恐怖に陥れた。警視庁では1万9千人を動員して捜査を続けたが犯人、「草加次郎」は発見できなかった。多くの「模倣犯」がやたら出現して捜査は混乱したのであった。
この昭和37年を俯瞰してみる。東京五輪を2年後に控え景気が拡大していた。
東京都の常住人口が初めて1千万人を超えた。並みいる企業は「求人難」に悩み、「青田狩り」が横行した。誰もが富の蓄積を目指した。将来の幸福を夢見た時代であった。
保有するクルマは急速度に増えていた。さて「草加次郎爆弾事件」であるが1978年に「時効」が成立してしまった。
(この項は画像を追加して再掲しました)